“人生って何だろう?”とベサニー・コセンティーノは「So Unaware」で問う。彼女は真剣にそう思ってるのだろうか? 2009年リリースの「Sun Was High (So Was I)」や、ガレージポップのメロディで恋愛バトルを歌ったビーチ向けの曲、そしてバブルガム・クッシュ(大麻)などで名を成したソングライターがこんな実存主義的な探求をするなんて、予想外の展開だ。バンドにとって3作目となる本作では、今までのやり方はもう役に立たなかったのかもしれない。彼らが選んだ解決策は、フックやハーモニー、フィル・スペクター的な厚みのある音作りを倍増させ、内なる闇を制し、パワーを獲得することだった。

 ほとんどの曲において、それらは上手く機能している。「Fine Without You」や「In My Eyes」ではコセンティーノの声が多重録音され、まるでパンク・ポップ軍団の歌声のよう。「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のビデオに登場するチアリーダーたちが合唱団を結成したら、こんな感じかもしれない。「Heaven Sent」は、ゴーゴーズのサイボーグアニメ版といった趣き。タイトルトラック(今よりも高みに達するのではなく、低いままでいたいという夢想を歌った曲)以外の曲は、ある意味で似通っているぶん、耳に心地よい。しかしそれらは時折、退屈でもある。ただ、ベスト・コーストが最も敬愛するラモーンズ同様、これは“一貫性”と呼べるものなのかもしれない。いずれにせよかなり輝かしいサウンドだ。「Wasted Time」の“何か証明できるものがあれば良かったのに”というリフレインで終わりを迎える本作。しかし、コセンティーノの才能は本作でしっかりと証明されている。

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