シャドウズ・イン・ザ・ナイト

 昨秋の北米ツアーではほぼ全公演で、アンコールに意外なバラードを選曲したディラン。「ステイ・ウィズ・ミー」─1964年にフランク・シナトラがシングル・リリースしたこの曲は、もともと63年の映画『枢機卿』のサウンドトラックとして書かれたものだった。シナトラは“主の導きを乞う祈り”であるこの歌を、法王の祭服の如き壮麗なオーケストラをバックに、高みから諭すように熱唱。一方ディランの場合は、ステージ上にいる時と同様、懇願するように言葉やメロディを紡いでゆく。ペダル・スティール・ギターの音色が礼拝堂のように静かになった酒場を思わせるなか、ディランのバリトンヴォイスが響く。しかし、ディランの願いには切迫感があり、時に情欲的でさえある。人生を生き抜いてきたものが力を振り絞って自分の主張をする、その声は深く、衝撃的なまでにクリア。まるで声自体が再生したかのようだ。曲の装飾をとことん取り払い、純粋で骨太な“告白”といった状態にまでそぎ落としたディラン版「ステイ・ウィズ・ミー」は、アメリカ伝統音楽の原点─ブルースだといえよう。

『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』を構成する10曲はいずれもスローダンスに向いたカバー曲で、ほとんどはロックが生まれる前に流行ったスタンダード・ナンバー。「夜に生きる」のように、時折もの悲しいブラスの音色が花開く。しかしディランのヴォーカルに次いで際立つのは、ドニー・ヘロンによるスティールギターだ。ハワイアンやテキサス西部の音楽ふうに、哀愁の調べをかき鳴らす。これらをつなぐのは、シナトラの存在感だ。生前、本作に収録されたすべての楽曲をシナトラはレコーディング。ディランのアルバムが制作されたのは、ロサンゼルスのキャピトル・レコード・スタジオで、シナトラが同レーベルのため、不朽の名作を作った場所だ。アルバムの1曲目に収録された「恋は愚かというけれど」は、51年にシナトラが共作した楽曲でもある。ディランが恨めしそうに“あいつも味わったくちづけを分かち合う”と歌えば、エヴァ・ガードナーとの不倫に悩んだ当時のシナトラの姿が目に浮かぶとともに、ディラン自身が『血の轍』の中でまき散らした欲望がこだまする。

 とはいえ本作はシナトラへのトリビュート作品というよりも、間が空いてしまってはいるが、92年の『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』や93年の『奇妙な世界に』といった、フォークやブルースをカバーした作品に続くものといえよう。つまり、ディランの心に常に息づいていたものへの回帰である。「枯葉」やアーヴィング・バーリン作「ホワットル・アイ・ドゥ」は明らかに、彼が50年代に学校のダンス・パーティで女の子ウケを狙って披露した類いのナンバーだ。フランキー・レインが49年に全米1位を記録した「ザット・ラッキー・オールド・サン」も、ディランが90年代前半によくライヴで演奏していた。それもそのはず、曲に込められた途方もない諦めは、『奇妙な世界に』のブラインド・ウィリー・マクテル作「壊れた機関車」や97年『タイム・アウト・オブ・マインド』の自作曲「ラヴ・シック」と通じる部分がある。

 ショッキングなのはむしろ、ディランの歌いっぷりだ。そのフォーカスの仕方や歌い方は60年代後期の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』や『ナッシュヴィル・スカイライン』に見られる、凛とした安定感と透明感を放っている。微かに刻まれるテンポのなか、言葉や音符をひとつずつ丁寧に噛みしめていくさまは、どこか偏執的ですらある。これは甘く優しいささやきなどではない。サスペンスなのだ。73歳の今も“運命”というものを受けつけないディランは、巧みに語られてきた物語の中に、新たな教訓、人生の機微、癒しをまだまだ探している。

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