デヴィッド・ボウイはこれまでに宇宙に関連した曲を1〜2曲歌っている。だが「ザ・スターズ」は、彼が作った曲の中でも最高傑作のひとつだろう。舞い上がるギターとストリングス、そして神秘的なボウイのヴォーカル。ボウイが歌うのは夜空を見上げる恋人たちの話。ふたりはそこに目まぐるしく動く宇宙全体を見る─“我々が星々を減らすことは絶対にない/しかし私はその永遠を願っている”。ふたりの心の中にある星屑が人生を照らしているのだと感じる。そして突然、彼らが一緒にいるのは自分たちが宇宙の一部分だからだと考えるようになる。まるでボウイは「ヒーローズ」と「スペース・オディティ」をひとつの曲に融合しようと決意したかのようだ。これは今まで彼が一度も試していなかった快挙だ。デヴィッド・ボウイ、あなたは凄い。

見事なアルバムにおける歓喜の瞬間。『ザ・ネクスト・デイ』は、ボウイ・ファンが絶対にあり得ないのではないかと危惧していた復活を宣言するアルバムだ。ボウイは健康上の不安から、2004年のツアーを中断したのちに一線から退いていた。大半の人たちは、ついに“シン・ホワイト・デューク(痩せこけた白人公爵)”がロックから足を洗ったのだと思っていた。熱狂的なボウイ・フリークでさえ、彼を老後の楽な隠居生活から引きずり出すことはできなかったのだから。

しかしボウイにくつろいだ隠居生活なんて似合わない。今年1月、66歳の誕生日にニュー・アルバムの完成を公表し、人々の度肝を抜く。『ザ・ネクスト・デイ』のためのセッションは極秘裏に進められた。これまでにこんなやり方をしたアーティストは皆無だ─頭打ちの制作活動、10年のブランク、それからいきなり表舞台に舞い戻ってくるなんてことを。

『ザ・ネクスト・デイ』は、ボウイとプロデューサーのトニー・ヴィスコンティがベルリン3部作(『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』)を制作した1970年代後半という時代と深い関連性を持つ。『スケアリー・モンスターズ』の低い音域のギター・アタックも健在。このアルバムの曲は、中年にさしかかった頃の90年代後半にリリースされた『アースリング』と『アワーズ』、そして2000年代前半の『ヒーザン』『リアリティ』といった素晴らしいLP(たとえ過小評価されていたとしても)の様式を反映するものだ。研ぎ澄まされキレのいいギターは曲のトーン─茶化すかのようであり、ソウルフルで、成熟していて、感傷にとらわれず、高ぶった気持ちを込めた─にぴったりとマッチしている。

「ザ・ネクスト・デイ」はこのアルバムのオープニングを飾るにふさわしい1曲だ。ボウイがうなるように、“私はここにいる、死んではいない/木のウロの中で体が朽ちていくのに身をまかせていたんだ”と歌う一節が心を揺さぶる。たとえ“終末論を唱える歌じゃ足りないんだ”と歌っていても、ボウイは決して終末論を捨て去っていなかった。それどころか、戦争反対を激しくぶちまけ(「アイド・ラザー・ビー・ハイ」)、破滅への道を歩む若者を思いやり(「ラヴ・イズ・ロスト」)、世俗的な愛(「ダンシング・アウト・イン・スペース」)を歌うのだ。そして、“私は自分に問いかける/私はいったい何者なんだ”という歌詞が繰り返され、低く単調な電子音が続く「ヒート」でアルバムの幕を閉じる。

ボウイは『ザ・ネクスト・デイ』の大部分を歯切れの良いロックなヴォーカルで歌っているが、ゴスっぽいドゥーワップ「ユー・フィール・ソー・ロンリー」と、壮麗なニュー・ロマンティックを漂わせるラヴ・ソング「ホエア・アー・ウイ・ナウ?」といったバラード2曲に関しては、得意とするトーチソング的な演出は抑え気味。アルバム全体としては旧友ジョン・レノンの「イン・マイ・ライフ」を連想させる─ある意味、ここに収録された全曲がその続編とでも言うべきか。この作品には、ボウイが自分のたどってきた道のりや、出会った人々を思い浮かべながら、昔の自分の音楽や歌詞を言及する部分がかなり多い。しかし彼はしっかりと未来に照準を向けている。そして彼が「ザ・スターズ」で歌われるような高揚感の極みに達する時、その未来のサウンドはたまらなく魅力的なものになるのだ。

RECOMMENDEDおすすめの記事


MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE