フィル・スペクターが獄中で死去 革新的プロデューサーの波乱万丈な人生を振り返る

フィル・スペクター(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

1960年代初期にロックのレコーディング手法「ウォール・オブ・サウンド」で革命を起こし、一世を風靡した音楽プロデューサー、フィル・スペクターが1月16日、81歳で他界した。スペクターは波乱万丈な人生を送り、最後は悲しい晩年を迎えた。スタジオでの画期的な偉業に加え、彼が成し遂げた数々の業績は、2009年に女優のラナ・クラークソン殺害による有罪判決で色あせてしまった。

●【画像を見る】殺人罪で服役中だったフィル・スペクター、逮捕後の写真と殺害された女優ラナ・クラークソン

スペクターは、本人の有名な言葉を借りれば「ロックンロールに対するワーグナー的手法」を取り入れ、60年代にザ・ロネッツやクリスタルズ、ダーレン・ラヴ、ライチャス・ブラザーズといったアーティストのために手がけた作品を「若者のためのささやかなシンフォニー」と呼んだ。スペクター作品はどれもオーケストラのごとく重厚で、ギターやホーンセクション、キーボード、ストリング、パーカッションの音を幾重にも重ね、時には複数の楽器で同じ音をユニゾンで演奏させた。彼がプロデュースした楽曲はまばゆいほどにロマンティックで、ほとんどはブリルビルディング所属の偉大な作曲家たちの手によるものだった。彼が手がけた往年の名作は、レッキング・クルーと呼ばれる優れたミュージシャンたちによって支えられていた――ザ・ロネッツの「Be My Baby」でのハル・ブレインによる4ビートのドラムのイントロは、ロックンロールの歴史に残る名作のひとつだ。



スペクターが考案した収録方法に駆り立てられ、同世代のミュージシャンらもスタジオでより野心的な試みをするようになった。「彼は時代を超越している」と、1996年にブライアン・ウィルソンはスペクターについてこう述べた。「彼はスタジオに入るたびに必ず偉業を成し遂げる。そのおかげでビーチ・ボーイズは進化できた」 その10年後にはブルース・スプリングスティーンが「明日なき暴走」で、スペクター作品の荘厳さを再現しようと試みた。「フィルの作品はカオス寸前、暴力をシュガーコーティングしたような感じだった……3分間弱のオーガズムの後、無気力な状態に襲われる」。2012年、SXSWの基調講演でスプリングスティーンはこう語っている。「フィルが教えてくれた最大の教訓はサウンドだった。サウンドそのものが言語なんだ」

「どうしようもないほど問題を抱えた天才児。彼こそは、アート作品が常にアーティスト本人よりも素晴らしい、という究極の例だった。愛による救済を歌った歴史に残る偉大な作品を残した一方で、自らの人生では愛を与えることも、与えられることもできずにいた」とスティーヴィー・ヴァン・ザントはTwitterに投稿した

2009年以来、スペクターは第2級殺人罪で服役中だった。ロサンゼルスのハウス・オブ・ブルースで知り合ったホステスのクラークソンを殺害したとして有罪判決を受け、懲役19年から終身刑を言い渡されていた。クラークソンは同年2月3日未明、スペクターとともにアラバマ州の彼の邸宅に向かった。専属運転手が邸宅の外で待機していると、銃声のような音がしたという。運転手はのちに裁判で、邸宅から出てきたスペクターが「人を殺してしまったようだ」と言った、と証言した。

Translated by Akiko Kato

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