米国人芸術家がテキサスのメキシコ国境で記録した「現実」

取材初日、私はロス・フレスノスにあるポート・イザベル拘置センター訪問の許可を得ていた。同施設では、拘留者をカフェテリアやトイレ掃除に使用し1日1ドルで働かせていた。ちなみに、施設の売店で販売しているコーラ1缶は1.75ドルだった。ポート・イザベルにおける人権問題に関わる記録は、数年に及ぶ。2010年、留置者たちが適切な医療や法的支援を求めてハンガーストライキを実施した。また、ある元警備員は、施設の汚職や虐待をグアンタナモ収容所と比較し、克明に記録している。

私は、友人の運転で舗装されていない曲がりくねった道を進み、有刺鉄線の巻かれたフェンス沿いにポート・イザベルのゲートまで進んだ。警備員は、運転している友人がリストに載っていないため、私を車から降ろせない、と告げた。私が車を降りて徒歩でも入れないと言われた。徒歩でのアクセスを禁止する規則を見せてくれと頼むと、警備員は銃を収めたホルスターを叩いてみせた。私が施設へ入れる唯一の方法は、一旦その場を離れ、タクシーに乗り換えて戻ることだという。ポート・イザベルへのアクセスが許可されているタクシー会社は2社のみで、料金は10分間で30ドルだった。「ガテマラから来たトラウマになりかかった女性が、現金も持たずにただ解放されたらどうなるか?」と、コミュニティ活動家のマイケル・サイファートは言う。「そのようなことは日常茶飯事。なぜ車で送ってやらないのか不思議だ」

初日に私がポート・イザベルの法廷内でスケッチした後、移民審査局は突然他の裁判所に指示を出し、事前許可のないスケッチが禁止された。つまり、指示に従わないアーティストには連邦による罰則が科されるということだ。翌日ハーリンゲンの移民裁判所を訪れたとき、既に新たな指示が壁の目立つ場所に貼り出されていた。「昨日指示が出たんだ」と、警備員のひとりが肩をすくめた。

毎晩私はバスステーションへ出かけた。そこでのスケッチは禁止されておらず、私は移民の家族たちから自由に話を聞くことができた。そこにいた家族はまだラッキーなほうだった。彼らは“冷蔵庫”から解放され米国内にいる家族の元へ行くことができ、家から移民手続きのための裁判に通うことができる。拘留センターの小部屋で、期限も見えないまま長期的に拘束される家族もいる。バスステーションでインタビューしたほとんどの移民たちには、電子アンクレットが付けられていた。移民・関税執行局は、民間の刑務所運営会社が提供する“集中監視出廷プログラム(Intensive Supervision Appearance Program)”を通じて移民希望者の居場所を追跡している。家族たちは私に話はしてくれたものの、ギャングによって故国へ連れ戻されたり、メディアに取材協力することで移民当局を怒らせるのではないかと恐れ、名前を明かしたがらなかった。

Translated by Smokva Tokyo

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