パール・ジャムがシアトルで開催する大規模展示会の全貌:盟友バンドマンに捧げた企画展

米国現地時間8月11日からスタートしたパール・ジャムの展示会(Jim Bennett/MoPOP)

エディ・ヴェダー手書きの歌詞やアルバム『Ten』のジャケットで使われた文字、シアトルのロック・パイオニアのブロンズ像などが展示されたバンドの回顧展「パール・ジャム:ホーム・アンド・アウェイ」がシアトルで開催されている。同バンドのベーシスト、ジェフ・アメンが発起人となった展示会の全貌を、盟友とのエピソードと共に紹介する。

5年前、パール・ジャムのベーシスト、ジェフ・アメンは当時はまだ恋人だったパンドラと一緒に、アメンのバンドメイトだったアンドリュー・ウッドの墓参りをした。ウッドはグランジのパイオニア・バンドの一つだったマザー・ラヴ・ホーンのリードシンガーで、1990年に薬物の過剰摂取で24歳の若さで他界した。これによって同バンドのアメンとギタリストのストーン・ゴッサードはバンドの再編成を余儀なくされ、そうして組んだバンドがのちにパール・ジャムへと発展する。アメンはウッドの大きくて力強い性格と、シアトル・ロックの礎を築くために果たした役割を決して忘れなかったのである。

しかし、ウッドの墓を見てアメンはがっかりした。「俺は思わず『なんてことだ、もっと立派な墓じゃなきゃダメだよ』って思ったね」と言ったあと、アメンは墓石のウッドの名前が刻まれている下にあった星型の飾りを誰かが穿り出したせいで、その部分に穴が空いていることまで教えてくれた。そして「そんな感じだったから、帰り道、俺たちはずっと『俺の知り合いで彫像を作るべき人間はヤツだ』と何度も話したよ。ヤツも自分の彫像を絶対に気に入るはずだから」と語った。

ウッドの銅像が、シアトルのミュージアム・オブ・ポップ・カルチャー(MoPOP)で開催される展覧会「パール・ジャム:ホーム・アンド・アウェイ」で展示される。アメンは2.4メートル近いモニュメントをマーク・ウォーカーに発注した。ウォーカーはシアトルのプラット・ファイン・アート・センターでかつてパンドラに教えていたブロンズ像の講師だ。アメンは地元のクラブ、メトロポリスでウッドのパフォーマンスを見たときの思い出をウォーカーに語った。このメトロポリスはグランジ生誕地として知られている。「それを聞いた彼は『僕たちはオリンパス山の麓にいるんだよ、みんな!』って言ったんだ(※ギリシャ神話の神々が住んでいたオリュンポス山の英語名はワシントン州のオリンパス山と同じで、メトロポリスは古代ギリシャの植民地)。そして、この像のコンセプトを決めていく途中で、『熱帯雨林から彼が生まれ出てくる姿にしよう』となったんだ。苔、ヒトデ、潮溜まりなどが全部入っている」と。


アンドリュー・ウッドの銅像

ウォーカーは、自分自身をウッドの写真で囲うようにして、実際に森の中に入って、木の幹の土台からウッドの姿が出現し、両腕が伸びている彫像を製作した。ウォーカーは小さなモデルから作り始め、それを360度カメラで撮影し、巨大化し、発泡体に印刷し、ブロンズで鋳像したのだった。そして、重さ約5.9トンのブロンズ像が完成したのである。この製作にかかったコストは「たくさん」とアメンが笑って答えた。しかし、やる価値があったと言う。「彼という人間がいなかったら、俺だけじゃなくて、シアトルの音楽シーン全体が今とはまったく違うものになっていたと思うからね」と。

Translated by Miki Nakayama

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