イアン・ギランが語るディープ・パープルと歩んだ人生、「The Long Goodbye」の真意

今こそ振り返る、イアン・ギラン・バンドと「チャイルド・イン・タイム」の意味

ーあなたは1973年にディープ・パープルを脱退した後に結成したイアン・ギラン・バンド(以下IGB)でも1977年に武道館公演を行っていますが、そのときのことを覚えていますか?

イアン:IGBはジャズ、ファンク、ロック路線のバンドで、ディープ・パープルのファンから熱狂的に受け入れられたわけではなかった。活動期間も短かったし、正直なところ世界的に大きな成功を収めたバンドではなかったんだ。それでも日本のファンは我々を応援してくれたし、ジャパン・ツアーの東京公演は武道館で行うことが出来た。俺はIGBのミュージシャン達には、音楽家としての敬意を持っていたよ。特にベーシストのジョン・グスタフソンは俺のヒーローだった。IGBは短命に終わったけど、きれいな形で終わることになった。俺にとっては大きなチャレンジだったし、やって良かったと考えている。

ーIGBのジャズ・ロック路線は、あなたのキャリアにおいてどのような時期だったでしょうか?

イアン:俺はミュージシャンだ。ミュージシャンというものは、さまざまな局面を通過していくものなんだ。俺は自分のキャリアにおいてロック、クラシック、ジャズ、ブルース、モータウン・ソウル、ロックンロール、フォークなどを吸収してきた。IGBでやったジャズ・ロック路線も、そんな実験のひとつだったよ。自分にとって糧となっているし、今考えてみるとやって良かったと思う。

ーIGBではディープ・パープル時代の「チャイルド・イン・タイム」をとても異なったヴァージョンで再演しましたが、この曲はあなたの中でどのような位置を占めるのでしょうか?

イアン:数人の男たちが酒場に集まると、サッカーや政治の話をするものだ。その男たちがミュージシャンだったりすると、新しい音楽的アイディアが生まれたりする。「チャイルド・イン・タイム」をやるというアイディアは、そんな流れから生まれたものだった。結果として、あの試みは俺にとって決して楽しい経験ではなかったけどね。ジャズというのは自由な表現を謳歌する音楽のはずなのに、我々はジャズの様式に縛られることになってしまったんだ。ディープ・パープルでジョン・ロードとリッチー・ブラックモアがプレイした「チャイルド・イン・タイム」の方が、はるかに自由だったよ。ロックンロールというのは自由に羽ばたく翼であるべきなんだ。

ルチアーノ・パヴァロッティ(イタリアのオペラ歌手、2007年死去)と話していて、「ロック歌手が羨ましくなることがある」と言われたことがある。俺が「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を歌うのを6回聴いたことがあるけど、毎回異なった歌い方をしていたってね。クラシックだと音符を1つ変えるだけで死に値する罪だと言っていたよ(笑)。クラシックは決められた枠内で自分を高めていく音楽だ。それに対して、ロックはいかに枠を壊すかが重要な音楽なんだ。

ー「チャイルド・イン・タイム」は、ディープ・パープルのライブではしばらくプレイしていないようですが、10月に日本では聴くことが出来るでしょうか?

イアン:「チャイルド・イン・タイム」以外にも、もうライブでやらなくなった曲は200曲ぐらいあるけどね。あえて「チャイルド・イン・タイム」を挙げると、ジョンとリッチーがいない状態でプレイする曲ではないと思う。ドン(・エイリー)とスティーヴ(・モーズ)は最高のミュージシャンだし、ほとんどのディープ・パープルの曲は難なくプレイ出来るけど、「チャイルド・イン・タイム」はイメージが一変してしまう。それともうひとつ、「チャイルド・イン・タイム」はリッチーと俺の意見が一致しない要因の一つとなった。だから精神的にやりたくないという部分もある。だから君の質問に答えると、おそらく日本でプレイすることはないだろうね。

ーディープ・パープルのイアン・ペイスやドン・エイリー、ジョン・ロード、そしてIGBのマーク・ナウシーフなど、あなたが活動してきたミュージシャンの少なくない数が故ゲイリー・ムーアと共演していますが、あなた自身はゲイリーと面識がありましたか?

イアン:いや、ゲイリーとは会ったことがなかった。もちろん彼のギター・プレイは聴いたことがあるけどね。誰でもない、彼だけのスタイルを持ったプレイヤーだった。スティーヴやリッチー、ジェフ・ベックのように、独自のヴォイスを持ったギタリストだったよ。彼がマーク・ナウシーフとやっていたとは知らなかった。歳を取っても学ぶことはあるものだよ(笑)。

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