マイク・シノダ1万字インタビュー:チェスター・ベニントンの死と自身の現在地

彼がK・フレイとコンタクトを取ったのは、『ワン・モア・ライト』の制作時に共同で作曲しながらも、アルバムに収録されなかった「メイク・イット・アップ・アズ・アイ・ゴー」を完成させるためだった。シノダの提案でテンポを変更し、K・フレイによるコーラスが加えられたが、バラードだったオリジナルの印象は失われていない。「分からないの 何を追い求めているのか 自分が何者なのか / だから私は探し続ける 前に進みながら」

「誰もが悟ったようなふりをしているけど、実際は何かに直面する度に、人は何かを選択している。それってとてもポジティブな考えだと思うの」K・フレイはそう話す。「それは私の基本的な考え方なんだけど、マイクは共感してくれた」

シノダの第一印象は温厚でクリエイティブだったと話す彼女は、『ポスト・トラウマティック』の制作で彼と再会した時にも同じエネルギーを感じたと話す。「切迫感っていう言葉が適切かどうか分からないんだけど、この人には何が何でも表現したい思いがあるんだってわかったの」彼女はそう話す。「彼は何かを生み出さずにはいられないタイプの人間で、それは私も同じ。混沌とする今の世の中において、何かを創造することはとても美しく、意義のある行為だと思うの」



モレノもまた、シノダの創作に対する意欲は自然なことだと考える。2人の出会いは2001年、リンキン・パークの初ヨーロッパツアーにデフトーンズが同行した時のことだった。両バンドは親交が深く、デフトーンズのギタリストのスティーヴン・カーペンターは、ベニントンの息子であるドレイヴンのゴッドファーザー的存在だった。シノダから未完成の曲がいくつか送られてきた時、モレノはそれらにどう手を加えるべきか分からなかったという。状況を打開すべく2人は共にスタジオ入りし、もともとヘヴィなインスト曲だった「リフト・オフ」は、シノダが自身のスターダムへの道のりについてラップするトラックへ生まれ変わった。同曲にはマシン・ガン・ケリーがゲストとして参加している。

「(『ポスト・トラウマティック』のような)アルバムを作ることを、世間が批判的に受け止めるんじゃないかってマイクは心配していたけど、そんなのクソくらえだ」彼はそう話す。「彼はクリエイティヴな人間だ。世間がどう思っているかは分からないけど、彼はこれまでもずっと暗い場所にいて、そこから抜け出そうともがき続けてきた。『ワン・モア・ライト』の制作時に俺がスタジオに行った時、彼は40〜50曲分のスケッチを聴かせてくれた。彼は何かを作らずにはいられない人間なんだよ。もちろん他のメンバーも貢献しているはずだけど、彼がバンドの核であることは確かだ。音楽を作れない状況っていうのは、彼にとっては拷問のようなもののはずだ」

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE