セレブから愛された手話で有名なゴリラのココが46歳で永眠

1975年のココ。彼女の長年の世話係であり教師のペニー・パターソンと。(Bettman/Getty Images)

ロビン・ウィリアムズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーが訪ねたことで有名なニシローランドゴリラのココが眠ったまま死亡した。

独特なフォームの手話を習得したゴリラとして有名になり、ロビン・ウィリアムズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーなどのセレブが会いに来ることでも知られていたココが死亡した。日本語名の「花火子(ハナビコ)」という名前でも知られていたニシローランドゴリラのココが米国時間6月19日に46歳で永眠したと、ゴリラ財団が公表した。

同財団の声明にはこのように記されている。「ココは全ゴリラの親善大使として、異種間の交流と共感の象徴として、何百万という人間の心に感動を与えました。彼女は生涯愛され、今後も人々の記憶に残るでしょう」。

ココは1971年7月4日にサンフランシスコ動物園で誕生し、彼女の世話係であり教師の動物心理学者フランシーヌ・“ペニー”・パターソンから手話を教わって、彼女独自の手話を習得した。これをパターソンは「ゴリラ手話」(GSL)と命名。ココはナショナル・ジオグラフィック誌の表紙を二度飾ったスターと呼べるゴリラで、数多くのドキュメンタリーの題材となった。また英語の話し言葉を2,000ワード以上も理解できると報告されていた。

1974年、パターソンとロナルド・コーン博士はココをスタンフォード大学に移動させてゴリラ財団を設立。のちに2匹目のゴリラのマイケルが加わり、このプロジェクトが拡大した。そして、1979年にこのチームは米カリフォルニア州のサンタクルーズ山脈に移住した。

その後、魅力的な言葉遣いが人々の関心をひき、ココはポップカルチャーのアイコン的存在となり、ベティ・ホワイトやミスター・ロジャースなど、数多くのセレブリティと一緒に過ごすようになる。また、大人気テレビドラマ『となりのサインフェルド』で、ジョージ・コスタンザが同僚につけられたクールなあだ名を自分のものにしようと奮闘するエピソード「The Maid」では、「ココ」という名前が登場したこともあった。

2016年、フリーがカリフォルニアでココと面会し、彼女が自分のベースの弦を引っ張ったり、鼻をこすり付けたりしてもお構いなしだった。YouTubeに投稿した動画には「これは本当に人生最高の経験だった。生涯絶対に忘れない1日だ」と、フリーが記している。



ココがセレブリティと過ごした時間で最も有名なのが、2001年のロビン・ウィリアムズとの親密な時間だろう。その様子を撮影した動画で、一人と一匹は抱きしめ合い、笑い、くすぐり合った。この動画が公開されると数多くの人々が視聴した。2014年にウィリアムス死去のニュースが流れたあと、ゴリラ財団は「パターソン博士が『私たちは大切な友人、ロビン・ウィリアムズを失ってしまった』と話し、ココは静かに物思いに耽っていた」とコメントした。

Translated by Miki Nakayama

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