エンジニアが語る、ローリング・ストーンズの巨大アナログ盤ボックスセット完成の内幕

―リマスタリングに一番苦労したアルバムは?

正直に言うと、大きな苦労はまったくなかった。一番大変だったのは音が落ちている部分の修復だったよ。酸化した部分に小さな穴があいていて、それがデジタルファイルにそのまま移行されたものだった。この音抜けは最初からずっとそこにあったものなのか、テープの劣化でできたものか、誰かが巻き戻し中にテープに傷をつけてできてしまったものか……でもデジタル修復ソフトを使うと十分に修復できる。

このボックスセットに入っている初期の3〜4枚(『スティッキー・フィンガーズ』、『メイン・ストリートのならず者』、『山羊の頭のスープ』、『イッツ・オンリー・ロックン・ロール/It’s Only Rock ‘n Roll』)は明らかに意図的なローファイ・サウンドだ。バンドが『ブラック・アンド・ブルー』をレコーディングしようとしたときに、初めてFMラジオの存在に気付いて、「FMで流してもらうために良いサウンドのレコードを作らなきゃ」って考えた感じがするんだ。実際に『ブラック・アンド・ブルー』からストーンズのサウンドが突然、すごく良くなっているし、その前のレコードよりもかなりクリーンなサウンドだ。ただ、ローファイなサウンドを変えるつもりはなかった。ストーンズ・ファンはあのサウンドに慣れ親しんでいるし、あれを愛しているから、その歴史を書き換えるのは僕の仕事じゃない。それに、あのサウンドを変えるのは間違っているよ。たとえEQを駆使してあのサウンドを明るくてガツンと鼻先に迫ってくるような迫力のあるサウンドに変えたとしても、それはファンが求めるサウンドじゃない。初期のアルバムはそんなサウンドじゃないから。そんなふうに、すでにあるサウンドを尊重しながら作業を行った。サウンドが劣化していた部分にEQを少し加えることは行ったけど、それだってボードに使えるEQが7つあったからだし、ボードのEQを全部使うってことじゃない。モナリザを改修する感じだよ、本当に。細心の注意を払って、ほどほどに改良することが大事なんだ。

―作業中に驚いたことはありましたか?

非常にトリッキーな曲は「Fingerprint File」だった。これは『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』収録のB面の最後の曲。手元にあった(デジタル・ファイルの)音源とオリジナルのレコードを比較したとき、「うーん、ここの速度が違うぞ」と思った。そこで、かなり綿密なリサーチを行って発見したことが、世に出ているこの曲の全バージョンの速度が間違っていることだった。そこで、マネージメントに連絡して「これはどうしてなんだ?」と理由を確認したら、彼らの返事は「間違いじゃない。マスターテープ通りだ。きっとオリジナルのセッションでバンドが速度を変えたんだと思う」だったのさ。それを聞いて、僕は「わかった、オリジナル・アルバムを再現する作業だから、速度はこのままにしておくよ」と答えたよ。


アビイ・ロードのエンジニア、マイルズ・ショウェル(Abbey Road Studios)

―つまり、その曲のオリジナルの録音物の速度が当時のマスタリングの最中にスピードアップされたということですか?

うん、そう、マスタリング・セッション中に決定されたようだね。(オリジナル音源の)デジタル音源をアルバムのバージョンと比較してみたら、位相が一致しなかったし、本当にひどかった。基本的には位相が一致しない音楽をカットすることは不可能だ。つまり、片方のスピーカーの情報がもう一方のスピーカーの情報とずれていると音楽として成り立たない。オリジナル音源のマスタリング・エンジニアは、レコードにプレスするために大きなモノラル・サウンドにするしかなかったのか、(周波数レンジが)かなりナローなステレオだったのか……そうしないと適切にカットできなかったわけだ。だから、デジテル・フィルタリングを少し使って、40年前にできたらよかったと思うエレガントさを加えてみた。これは大きなチャレンジだったと思う。だってオリジナルのLPと比較して気付いたわけで、もしオリジナルじゃなくて後期の再プレス・レコードを提供されていたら、きっと気付かなかったと思う。マネージメントがオリジナルのLPを貸してくれてラッキーだったよ。

―作業中にストーンズから何かリクエストはありましたか?

ありがたいことに、彼らはこのプロジェクトを僕に一任してくれた。実は、それが信じられなかった。彼らは「これが音楽だ。これがオリジナルのレコードだ。これで頼んだぞ」って。それだけ。それ以降、何も言われなかったし、プロジェクトの終わりまで何も言われなかった。つまり、去年(2017年)の年末にプレス工場からテストプレスが届くまで僕任せだったってこと。

―そして、彼らはテストプレスを気に入ったと?

うん、僕はホッと一安心さ(笑)。マネージメントがまず聞いてサウンドを確認してから、ミックに送り、彼が他のメンバーに聞かせたんだ。彼らからのフィードバックはすべてポジティヴで本当に嬉しかった。もし誰かが「いや、これは気に入らない」と言ったら、このプロジェクトとはそこで終わっていたからね。僕は面目を失い、ファンはボックスセットを失う結果になっていたかもしれないんだよ。

―この大きなLPボックスが成功した今、次にアナログ盤でしたいことは何ですか?

うわっ、それは考えていなかったな。それに答えも思いつかない! 同じ質問を10年前に聞いていたら、今の状況とは違うことを答えていただろうね。確実なことは何も言えないんだよ。ただね、アナログ盤はオーディオマニアが選択するフォーマットになりつつある。というか、オーディオマニアはずっとアナログ盤を支持してきたし、アーティストの熱心なファンもアナログ盤を支持する傾向があるんだ。よくあるのが、アーティストが大好きな大ファンと言われる人たちは新しいLP、つまりアナログ盤、を買うけど、それは音楽を聞くためじゃない。音楽はストリーミングで聞いているんだ。彼らにとってアナログ盤を手に入れることは、そのアーティストの正真正銘のファンだという証しなんだよ。「いつかレコード・プレーヤーを買うだろうけど、今はとにかく彼らが好きだからこれを買う」って感じでね。

もちろん、今後も40年前と同じくらい大きなマーケットには絶対にならない。旋盤も少ないし、プレス工場も少ないから。世界中のプレス工場は現在リードタイム(出荷までの時間)がかなり長い。その原因が僕には理解できないけど、とにかく、僕だけじゃなくて、他にも良いサウンドのレコードを作ろうとしている人たちが実際にいるし、みんなが注意深く、一生懸命に作業したら、今の状況は改善できると思うんだ。そして、これは僕が気付いた嬉しいニュースだけど、ヨーロッパとアメリカのプレス工場が改良を重ねて、本当に良いサウンドのプレスを行い始めている。そうは言っても、未来のことなんて誰にもわからない。誰かがディスクをカットする素晴らしい旋盤を作り出して、プレス工場がもっと良くなるかもしれないし、それが未来のフォーマットになるかもしれないしね。僕自身はそういう未来を楽観視してはいけないけど、アナログ盤が消えることはないと確信しているね。もしかしたら、今がアナログ盤のピークかもしれない。でも、だからと言ってこれから落ちていくということではないと思うんだ。


Translated by Miki Nakayama

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