80年代幻の名作「スパイナル・タップ」34年を経て日本初公開:最高に笑えるロック映画の裏側

Michael Goldberg | 2018/06/09 10:00

| 1984年のスパイナル・タップ (Photo by Pete Cronin/Redferns) |


映画『スパイナル・タップ』はロックンロール世界の妙に気取った部分を際立たせ、あらゆる場面でその可笑しさを上手く引き出している。レコード会社の社長、広報担当者、プロモ担当者、マネージャー、批評家でさえも、愛情をこめた描写ながらも業界独特の奇妙な点を浮き彫りにしているのだ。この作品はライナー、ゲスト、シェアラー、マッキーンの共同製作で、製作費300万ドル(約6億円 ※当時レート換算)未満で作られている。16ミリの手持ちカメラ(のちに35ミリになった)で撮影された『スパイナル・タップ』は、映画が進むに従ってクオリティがどんどん良くなっていく。そして、まるで本物のロック・ドキュメンタリーと見紛うほどの描写、雰囲気、リアリティ感が生まれた。「ドキュメンタリーという形式が登場人物の尊大さや横柄さを引き出す要因となった」とマッキーン。

作品のインスピレーションとなった他の真面目なロック映画と同じように、『スパイナル・タップ』にもコンサート映像、“隠し撮り”取材、バンド裏話がふんだんに盛り込まれている。男気満載のロック曲「Big Bottom」(「月曜日に彼女を見かけた、最高にラッキーなケツを見つけた日、なあ、俺の言いたいこと分かるだろ?」と歌う)を含む、すべての楽曲を実際に作って演奏したのはゲスト、マッキーン、シェアラーの3人だ。60年代半ば風の「Gimme Some Money」やサイケデリックな「(Listen to the) Flower People」も彼らの手によるものだ。

スパイナル・タップが最新アルバム『Smell the Glove』のプロモーションのためのアメリカ・ツアーを行うところから物語が始まる。この新作は結成17年目のバンドの7枚目のLPで、前作『Intravenus de Milo』とコンセプト・アルバム『The Sun Never Sweats』に続く作品なのだが、ある大きな問題が発生してしまう。ポリマー・レコードの社長サー・デニス・イートンホッグがジャケットを気に入らず、リリースを拒否したのだ。ポリマー・レコードの広報担当ボビー・フレックマン曰く、このカバーは「ひも付きの犬の首輪をつけた油まみれの女が四つん這いになっていて、ひもを持つ男の手の肘から下が描かれていて、女の顔に黒い手袋を押し付けて匂いを嗅がせている」から“攻撃的”だ、と。

「そのジャケットにしたバンドの意図を理解するべきだ」と、マネージャーのイアン・フェイス(元ナショナル・ランプーン編集者のトニー・へンドラが演じている)がボビー・フレックマンに抗議する。

ツアーの終盤になると、スパイナル・タップの先行きに暗雲が立ち込める。デヴィッド・セントハビンズのガールフレンドがバンドのマネージャーになっていて、彼女の戦略はすべて占星術に基づいて決められるため、空軍のダンス・パーティーや、遊園地での人形劇のあとで登場するコンサートなど、常軌を逸したものばかり。そのため、嫌気がさしたナイジェルはバンドを脱退する。残されたメンバーはツアー後にバンドを解散して、これまでできなかったソロ活動に精を出す決断を下す。そして、セントハビンズは「昔から自作のアコースティック・ナンバーをロンドン・フィルハーモニックと一緒にやりかたったんだよ」とベーシストのデレク・スモールズに吐露する。

クリストファー・ゲストが最初にナイジェル・タフネルのキャラクターを思い付いたのは、1974年にロサンゼルスのシャトー・マーモント・ホテルでイギリスのヘヴィメタル・バンドのあるメンバーと、そのマネージャーを偶然見たときだと言う。そのとき、この二人のイギリス人がフロントデスクでチェックインしていた会話を思い出して教えてくれた。

(有能そうな)ロードマネージャー「わかりました。では楽器は全部部屋に持っていきます」
(ドラッグで朦朧としている)ロック・スター「俺のベース、どこだっけ?」
マネージャー(そっけなく)「何だって?」
スター「俺のベース、どこだっけ?」
マネージャー「どこにあるんだよ?」
スター「たぶん空港だと思う」
マネージャー(叱るように)「空港に戻らないとダメじゃないか」
スター「そうなの? 戻らなきゃダメ?」
マネージャー(きっぱりと)「ああ、戻ったほうがいい」
スター「あれ、俺のベース、どこだっけ?」
マネージャー(苛ついて)「空港だろ!」

「これが20分くらい延々と続いたんだ。それを聞きながら僕は『これはいいぞ。これは貴重な場面だ』と思った。だって、文字通り、リアルにバカ丸出しの会話なんだからね」と、ゲストが語った。
ゲスト自身も60年代に、ニューヨーク大学のポエットリー・クラスでマッキーンと知り合ったあとの一時期、音楽業界で仕事をしたことがあった。「最初に話したのがマイケル・ブルームフィールドについてだった。僕たちは二人とも彼のサウンドの素晴らしさに驚愕していたんだ」と、マッキーンが当時のことを教えてくれた。

間もなく二人はアパートをシェアするようになり、ゲストが「かなり気ままな楽曲」と呼ぶ作品を一緒に作るようになる。「Traveling Clowns」、「Molly’s Day at Home」、「Castle by the Sea」、「These Are My Children」などが当時作った楽曲のタイトルだ。また、彼らは怪しげな人に契約を迫られたと言う。「マイケルと僕は、外国出身っぽい紳士に8番街のオフィスに連れて行かれて、契約書に署名しろって言われた」とゲスト。「その男はヴィト・ザ・スネークと呼ばれていて、文房具屋でよく売っている剥離式の束になった契約書があって、『これに署名してほしい。署名後にレコードを作ろう』みたいに言ってきた。僕たちは署名しないと殺されると思ったよ」と述べた。

その後、ゲストはVoltaire’s Noseというバンドに加入して演奏し、マッキーンはLeft Banke(「Walk Away Renee」が有名)に短期間在籍していた。「彼らが唯一のヒット曲を出した直後で、3ヶ月間リハーサルをしたのに解散したんだ。だから人前で演奏したことは一度もなかったよ」とマッキーン。

マッキーンとゲストがロックンロールの経験を積んでいた頃、ロブ・ライナーは米西海岸の即興コメディグループCommitteeでパフォーマンスを行っていた。「ロックンロール世界と即興風刺演劇の世界にはかなりの共通点があるようで、ロックンロール界の人たちの大多数が僕たちの風刺演劇に魅了されていた。ぼくたちのパフォーマンスは舞台で即興的に行うもので、ロックンローラーがいつも観に来ていたんだ。ママ・キャス、ブラッド・スウェット&ティアーズの面々、デヴィッド・クロスビー、スティーヴン・スティルズ、ニール・ヤング、スティーヴ・ミラー、ジャニス・ジョップリンなどがね」と、ライナーが語った。

Translated by Miki Nakayama

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