DJプレミアが語る、キャリアを代表する15曲

ギャング・スター『ジャスト・トゥ・ゲット・ア・レップ』(1990年)

ブロンクスに住んでいた頃、友達が(フランスの電子音楽家のジャン=ジャック・ペリーの)レコードを持ってきてこう言ったんだ。「こいつは使えるぜ」曲を聴いた瞬間、俺にはそれをどう使えばいいか分かった。最近は元ネタがバレないようにいろいろと細工をするのが当たり前だけど、当時はドープなループさえあれば良かった。数年後にペリーから訴えられたけど、彼から思いがけない提案が出されたんだ。「あの曲の無断使用に対する賠償金を支払ってくれるなら、私の未発表曲のライブラリーをごっそり渡そう。それらは好きに使ってくれて構わない」

サンプリングで訴えられたのはそれが初めてだった。当時はサンプリングという概念自体が新しかったから、ルールも整備されてなかった。あの頃、サンプリングは露骨な著作権侵害だと見なされた。そういう面があることは否定できないけど、少なくとも俺たちに誰かの作品を盗もうなんていう意図はなかった。当時のビートメイカーたちは、素晴らしいサウンドにただ酔いしれていたんだ。俺にはやり手の弁護士がついてたけど、示談を成立させるにはかなりの額が必要だと言われた。でも当時俺たちは稼ぎまくってたから、迷わず支払ったよ。(ギャング・スターのデビュー作)『ノー・モア・ミスター・ナイス・ガイ』が世に出た頃は、俺はビートメイカーとして未熟だったし、無知もいいところだったんだ。

ギャング・スター『フーズ・ゴナ・テイク・ザ・ウェイト?』(1990年)

当時はみんな同じことを考えてたんだけど、俺もパブリック・エネミーっぽいノイジーな曲を作ろうとしてた。流行に乗っかったってわけさ。パブリック・エネミーの曲の元ネタはほとんど知ってたけど、そのビートの組み方には舌を巻いたよ。

あの頃湾岸戦争が起きて、アメリカ軍がクウェートに送られようとしてた。俺たちの仲間も数多く戦場に行くことになっていて、グールーはその状況に対する思いを言葉にする必要を感じてた。ミュージックビデオで俺たちが迷彩柄の服を着てるのも、そういう理由からだよ。

ギャング・スター『エックス・ガール・トゥ・ネクスト・ガール』(1992年)

グールーは女の子のことを歌った「チック・レコード」を作るのが好きだった。不思議なことに、俺たちがそういう曲を作るたびに、彼は彼女と別れるか、新しい彼女を作るんだ。彼の最初の奥さんは金と永住権目当てのヨーロッパ人だったんだけど、歌詞に出てくる「新しい彼女」っていうのは、このビデオに出てる2番目の奥さんのことなんだ。

ギャング・スター『DWYCK』(1992年)

この曲は元々(1992年発表の)『テイク・イット・パーソナル』のB面だった。でも反響が大きかったから、レーベルに『デイリー・オペレーション』に収録しようって提案したんだ。『DWYCK』を追加収録してアルバムを再リリースする方向で話が進んでたんだけど、レーベルが途中で「やっぱり12インチで十分だ」って言い始めたんだ。ファンからはしょっちゅうこう言われたよ。「せっかくアルバムを買ったのに、『DWYCK』が入ってない!」だから(1994年発表の)『ハード・トゥ・アーン』に収録することにしたんだ。シングルでしか聴けないってのは不便だからね。

ナイス&スムースは『ダウン・ザ・ライン』で俺たちをフックアップしてくれたから、その礼も兼ねて彼らに客演してもらった。この曲の反響は凄かったよ。ニューヨーク東部のサイプレス・プロジェクトに行った時なんか、ちょっとおっかなかったぐらいさ。俺が車から出ると、人がぞろぞろ集まってきてこう言うんだ。「あんたは俺たちのヒーローだ!」行き交う車がみんなこの曲をかけてたんだよ。

ジェルー・ザ・ダマジャ『カム・クリーン』(1994年)

2件目の訴訟を起こされた曲だ(笑)ジェルーの声には問答無用の説得力がある。すごく通るしね。彼となら面白いものが作れると、俺は確信してた。デビュー曲である以上、ソロアーティストとしてのアイデンティティを確立するものにしたかった。(曲のイントロの)水が滴る音を聴いた瞬間、彼はこう言った。「よぉプリーム、この曲は売れるぜ」世に出る前からヒットを確信できるレコードっていうのがあるんだよ。当時は俺も試行錯誤を重ねてた頃で、最初はこの曲(のプロダクション)にどこか物足りなさを感じてた。でもジェルーはそこが気に入ってたんだ。

訴訟問題に発展したのは、どこかの誰かがチクったからなんだ(プレミアは同曲で1972年作『インフィニティ』を無断でサンプリングしたとして、作者でありドラマーのシェリー・マンに訴えられている)。曲のほんの一部を使ってるだけだし、ドラマーのアルバムなんだから誰も気づかないだろうと思ったんだよ。チクったのがどこの誰だが知らないけど、(弁護士調の声で)いつか必ずとっ捕まえてやる(笑)当時はがっつり稼いでたから、ちゃんと賠償金を払ったけどね。先方は作曲者としてクレジットされたら満足だったらしく、賠償金自体は大した額じゃなかったよ。

Translated by Masaaki Yoshida

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