ケンドリック・ラマーのピューリッツァー賞受賞、権威と名声が与える功罪

2004年に規定が変わり、ヨーロッパの伝統的なポピュラー音楽以外にも選択の範囲が広がったが、それでもメインストリームの音楽が真剣な芸術と捉えられるまで14年かかった。エリート好みの芸術コミュニティが尊敬する賞をラッパーが受賞したことは前進を表わすことではある。ラマーの音楽はモンクとコルトレーンが作った規則破りで、自由で、ラディカルなジャズの伝統とも相性がいい。そう考えると、ラマーの受賞が前代未聞なのと同様に、審査員も無意識のうちに1965年と2018年をケンドリック・ラマーという存在で一気につなぐという前代未聞のことをやったのかもしれない。

それでも「最初の人」の多くは、何かを勝ち得たことで逆に落ちぶれてしまうことがあり、この現実は白人が多くを占める空間に黒人の芸術がポツンと置かれているのを見たときの違和感を思い起こさせる。そして、包括的な団体と思われているロックの殿堂や、米国議会図書館や、本質的なアメリカ人らしさに訴えかけるはずの米国内の数々の賞に、人種間の溝が存在しているのではと疑ってしまう。

ニーナ・シモン、マイルス・デイヴィス、エラ・フィッツジェラルド、Run-DMCのようなアーティストたちへの死後の称賛も同じように感じた。

ラマーには米国議会図書館に入れられたアルバムが既に1枚ある。そして、彼が一度の投票で殿堂入りするのは確実だろう。ただ、人生の始まりと終わりを深く物語る内容のアルバムの生死は、アルバムの死に場所という論点をうまくはぐらかす。そして、誰の天国にそのアルバムがいるべきか、ということも。

Translated by Miki Nakayama

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