カート・コバーンの娘フランシスが挑んだ、父の真の姿を伝えるという使命

「(私の両親は)互いを傷つけ合ってた。私は2人を繋ぎ止めるためだけに生まれたのかもしれない。それでも、パパは私を心の底から愛してくれた」

彼女の嗜好性はリビングの内装にも反映されている。彼女は哲学と絵画の講義に通いながら、現在はヴィジュアルアーティストとして活動している。ホラームービーを好み、「対象にホラーなタッチを添えるディストーションが得意」と語る彼女は、ロサンゼルスで自身のエキシビションを開催したこともある。ピアノの上にはH.R.ギーガーがデザインした『エイリアン』のモンスターの巨大な頭部模型があり、今にも動き出しそうな等身大の骸骨がベンチに腰掛けている。未開封のスパイス・ガールズのフィギュアセットの隣には、額に入れられたチャールズ・マンソンによる絵が飾られている。(購入前に物件の下見に訪れた際に、フランシスは気づいたことがあったという。「前に住んでた家族には子供がいたんだけど、そのうちの1人の部屋にパパの像が置いてあったの」しかしそのことで購入を思いとどまることはなかった)

「あの映画と私の関係は特殊だと思う」フランシスはそう話す。「制作過程で何度も感情を激しく揺さぶられたけれど、私はあの作品を客観的に見ることもできるの。だって私にはパパの記憶がないから。これはいい、これは良くない、すごく美しい、そういう自分の意見をブレットにはっきり伝えたわ。そういう立場でありながら劇中にも登場している私は、文字通り地球上でただ一人の存在だからね」

彼女はこう続ける。「両親のラブストーリーを目撃するのは不思議な気分だったわ。劇中の2人は、年齢的に今の私とさほど変わらないから」1990年に2人が出会った時、カートは22歳だった。ホールのヴォーカリストであり、過去に両親の離婚を経験していたラヴは、当時25歳だった。2人は1992年2月に結婚し、同年8月18日にフランシスが生まれた。

「まるで友達が恋に落ちるのを見てるみたいで、自分でも驚いたわ」フランシスはそう話す。「2人の関係が必ずしもピュアじゃなかったことは知ってる」彼女が示唆するのは、2人がドラッグによって結ばれていたという事実だ。「そんな2人を繋ぎ止めるために、私が生まれてきたこともね。そういう動機を肯定するつもりはないわ。でもホームムービーや私に宛てた手紙、それにママや祖母から聞かされた話だけでも、パパが心の底から私を愛してくれてたってことはわかるの」

「2人がそういう目的で君を生んだと思ってるのかい?」隣に座っていたモーゲンは、驚いた様子で彼女に尋ねた。

「2人とも複雑な家庭環境で育ったことは関係してたんじゃないかな」フランシスはそう話す。「きっと早く家庭を築きたかったんだと思う。子供を作ることで、あらゆる問題が解決すると思ってたのかもね」吸っていたタバコの火を消した彼女は、すぐさま次の1本に火を点けた。「実際には事態を何百万倍も複雑にしてしまったけどね」

中庭のスライドドアから差し込んでいた太陽の光は、気づけば夕焼け色に変わりつつあった。約3時間に及んだ取材の中で、カートの制御不能なまでのエネルギーについて初めて語ったフランシスのややしゃがれた声は、父親が1993年に残したカセットのことを否が応でも思い起こさせる。感情を隠そうとしない彼女は、Fワードを連発する一方で、あどけなさの残る一面を垣間見せることもある。筆者と彼女が過去にも顔を合わせていることを伝えると(シカゴでのニルヴァーナのライブを前に、筆者がバックステージでカートにインタビューした際に、当時1歳だった彼女は隣ではしゃいでいた)、彼女は笑ってこう言った。「じゃあ初対面じゃないんだね、久しぶり!」筆者が持参したテープレコーダーが、1993年のその夜に使ったものと同じであることをモーゲンが明かすと、彼女は目を輝かせ、携帯電話を手にとってこう言った。「写真を撮ってもいい?」

『モンタージュ・オブ・ヘック』の制作にあたり、モーゲンがフランシスと初めて会ったのは、2013年にプロジェクトが再始動する直前のことだった。カート・コバーンを題材にした映画の制作については、彼は既にHBOと契約を交わしていた。「僕の方から彼女を訪ねていったんだ」モーゲンはそう話す。「これからやろうとしていることを、自分の口から説明すべきだと思った。彼女の存在がプロジェクトを大きく変えることになるなんて、その時は思いもしなかったけどね。彼女は朝食用テーブルにつくやいなや、カートの伝記映画がどうあるべきかについて、自身の考えを語り始めたんだ」

モーゲンはこう続ける。「フランシスはカートをアーティストとして、そして真っ直ぐな人間として描くことにこだわった。『20年間、父は私にとってサンタクロースのような謎めいた存在だった。誰もが私の父親は最高にクールだって言うけど、私はその顔すら覚えてない。だからこそ映画では、父の人間らしい部分に光を当てたい』彼女はそう言ったんだ」

その言葉はモーゲンを安堵させた。「話し終えた彼女に、僕はこう言った。『どうやら僕たちの意見は完全に一致しているみたいだ』」2人が握手を交わした後、フランシスはモーゲンにこう言ったという。「握手しただけなのに、もうパパよりはあなたを身近に感じちゃうのよね」

ラヴ曰く、フランシスはカートがどういう人間だったか、彼が何をしていたかといった疑問を、子供の頃から滅多に口にしなかったという。ラヴはこう話す。「でも少し大きくなってから、『私とパパの共通の癖とかってあるのかな?よく爪を噛んじゃうこととかさ』なんて聞いてきたことがあったわ」『モンタージュ・オブ・ヘック』を観るまで、フランシスは父の人生を「詳細に、かつ時系列に沿って」振り返ったことはなかったという。子供の頃からずっと、彼女が思い浮かべるカートのイメージは断片的だった。それでも多感な10代の頃には、その断片が大きな意味を持ていたという。


カート・コバーンとコートニー・ラヴ、フランシス・ビーン・コバーン。1993年 (Photo by Kevin Mazur Archive/WireImage)

祖母を含む彼の家族が今も暮らすカートの故郷、緑豊かなワシントン州アバディーンを訪れた時のことを、彼女は今もよく覚えている。オコナーはカートの寝室の床板を外し、彼がよくそこにマリファナを隠していたことを教えてくれたという。カートが15歳の頃に描いたという壁のアイアン・メイデンのロゴは、フランシスをはっとさせた。それは彼女がつい最近、カリフォルニアの自宅の風呂場のドアに同じグラフィティを描いたばかりだったからだ。「やっぱり親子ね」彼女は目をぐるりと回してそう話す。「血は争えないってわけ」

Translated by Masaaki Yoshida

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