悪が人を殺すのではない、銃が人を殺すのだ:銃乱射事件を「悪行」と片付ける米国政府

Jesse Berney | 2018/02/24 09:00

| ラスベガスで発生した銃乱射事件直後の様子:2017年10月(Photo by Ethan Miller/Getty Images) |

銃乱射事件をただ「悪行」として片付けてしまうのは、銃規制に目を向けさせないための言い訳にすぎない。

※本記事は、2017年10月3日に米ローリングストーン誌WEBに公開された記事の再掲です。

惨劇をもたらす行為を「悪行」として一括りにするのは安易なやり方だ。犯行の動機が想像もできないような惨たらしい事件を、何だかわからない別の動機に結びつけてしまうのは短絡的といえる。

犯人の男はホテルの一室に殺傷能力の高い大量の武器を持ち込み、叩き割った窓から銃を乱射。数十人を殺害し、数百人に怪我を負わせた。いったい何が男を犯行へ駆り立てたのか、普通の人間には理解しかねる。そこで一般には、「悪行」というひと言で済ませてしまう。

トランプ大統領は、59人が死亡し500人以上が負傷したラスベガスでの乱射事件を「本当の悪の仕業」とした。誰も彼の言うことには逆らわない。この世に「悪」というものが存在するならば、300ヤード先から見知らぬ人々を無差別に殺害する行為は、正に邪悪と呼ぶのにふさわしい。事件の夜、何がスティーブン・パドックをホテルの部屋へ駆り立てたにせよ、「悪」を意味する適当な定義に分類されるのだろう。

この世に「悪」が存在しなかったらどうだろう?

もちろん、人は酷い行いをするものだ。自分自身の小さな後悔から、想像を超えた残忍な行為まで、身の回りにさまざまな事例がある。パドック容疑者は、数十人を殺害した。ノーベル平和賞の受賞者が率いるミャンマー政府は、少数民族に対する残忍な大量虐殺に加担している。毎日子どもたちが食い物にされ、虐待されている。日々起きている恐ろしい事件に対して我々が何もせず見ているだけでは、この世界は暴力や残虐性の畜殺場と化してしまう。

しかし「悪」とは何か? 現実に起きた個別の事象か、或いは人々を行動に駆り立てる事象そのものか? パドック容疑者の行為を評したものでなく、彼の犯行動機としての「悪」か? それは空想の世界であり、今後必ず、ラスベガス乱射事件などのような事件がまた発生し、多くが犠牲になるだろう。

Translation by Smokva Tokyo

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