愛憎渦巻くスマッシング・パンプキンズの20年

2000年12月2日
スマッシング・パンプキンズが最後のライブを行う。1988年10月にデビュー・ライブを行ったシカゴのCabaret Metro (現Chicago Metro)で4時間演奏し続けた。

2001年11月2日
ビリー・コーガンとチェンバレン、チャベスのフロントマン、マット・スウィーニー、ア・パーフェクト・サークルのパズ・レンチャンティン、スリントのデヴィッド・パジョがズワンを結成。2003年1月にアルバム『メアリー・スター・オブ・ザ・シー』でデビューした。

2003年8月3日
ジェイムス・イハがア・パーフェクト・サークルに加入。「俺を戻したいと思うなら、相当いいバンドじゃなきゃダメだと誰かさんに言ったよ。そのバンドがこれさ」とイハ。この加入と前後して、彼はファウンテンズ・オブ・ウェイン、アイヴィー、メリッサ・オフ・ダ・マー、ウィスキータウン、ヴァネッサ&ジ・オーズのレコーディングに参加している。

2003年9月15日
ズワン解散。「俺の心はスマッシング・パンプキンズの中にあったと思う」とコーガン。「俺も36だし、そろそろソロ活動をしてもいい時期だ」

2004年2月19日
コーガンが、スマッシング・パンプキンズの解散はイハの責任と言い出す。「俺の責任じゃない。ドラマーのジミー・チェンバレンでもない。ジェイムスのせいだ」と、コーガンがビルボード誌に話した。「底意地の悪いヤク中だったくせに、みんなの助けを拒否したせいでクビになったベーシスト、ダーシー・レッキーを救えたかって? いいや、バンドは解散するしかなった。続けられなかったね」

2005年1月25日
ジミー・チェンバレン・コンプレックスがデビュー・アルバム『ライフ・ビギンズ・アゲイン』をリリース。

2005年5月3日
ビリー・コーガンがバンド再結成の噂にイラつく。「今後4人全員が揃って演奏する姿は永遠に見られない。起こり得ないよ。万が一、スマッシング・パンプキンズが再結成したとしても、俺たちが終止符を打ったところから始めるだろう。つまり、究極にプログレッシヴで、アグレッシヴで、簡単に理解できないユニットってことさ」とコーガンが述べた。

2005年6月21日
ビリー・コーガンがソロ・デビュー・アルバム『ザ・フューチャー・エンブレイス』をリリース。同日、シカゴ・トリビューン紙に全面広告を掲載し、スマッシング・パンプキンズをリニューアルして復活させる意志を表明。広告には「ここ1年間、俺は秘密を抱えて歩いてきた。明かさないと決めた秘密。(中略)俺は自分のバンドを、自分の曲を、自分の夢を取り戻したい」と書かれていた。

2007年4月6日
ジェイムス・イハがスマッシング・パンプキンズの再結成を否定する。「俺はビリーと何年も口をきいていない」と、イハはローリングストーン誌に語った。「今、自分のソロ・レコード用に曲を作っていて、これを今年レコーディングする予定だ。それに自分のレーベルScratchie Recordsも立ち上げている最中だよ」

2007年5月22日
部分的な再結成を果たしたスマッシング・パンプキンズがフランスのパリで初ライブを行う。コーガンとチェンバレン以外のラインナップは、ギタリストがジェフ・シュローダー、ベーシストがジンジャー・レイズ、キーボーディストがリサ・ハリトン。

2007年7月10日
スマッシング・パンプキンズが7枚目のフル・アルバム『Zeitgeist/ツァイトガイスト』をリリース。

2008年7月9日
スマッシング・パンプキンズが20周年記念ツアーを行う意向を表明。

2009年3月23日
ジミー・チェンバレンがスマッシング・パンプキンズを脱退。ドラマーがバンドを去ったこととコーガンはスマッシング・パンプキンズのバンド名を今後も使うと書いた、文章が2つだけのプレス・リリースで発表した。翌日チェンバレンが出した声明には「情熱を傾けられないことに全エネルギーを費やすことはこれ以上無理だ。自分を偽ることはもうしない。自分にも、君にも、ファンにも、かつてのパートナーにも。金のために…なんて出来ない。ビリーの幸運を祈っているし、彼がバンド名を引き継ぐ決心をしてくれて嬉しい。それは彼の権利だから」と書かれてあった。そして「俺は大丈夫だし、悪感情も何もない。ただただ全力で音楽するだけだ」という文章にわざわざアンダーラインを引いていた。

2009年4月21日
ジェイムス・イハをフィーチャーしたスーパーグループ、ティンテッド・ウィンドウズがセルフタイトルのファースト・アルバムをリリース。

Translated by Miki Nakayama

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