ビートルズのインド訪問50周年、あなたが知らない16の歴史的トリビア

11. ドノヴァンのギターが、インドでのビートルズの曲作りに影響を与えた。

スコットランド人シンガーのドノヴァンは、インドに到着した時点ですでにスター扱いをされていた。ビートルズの友人であるだけでなく、彼は僧院にいたビートルズに音楽面での影響も与えたのである。2005年の自身の自伝で、ドノヴァンはフィンガーピッキング・スタイルのギターの演奏方法をレノンに見せたと語っている。「僕の新しい弟子は確固たる意志で臨み、難解な知識をたった2日間で覚えてしまった……この弾き方を取り入れたジョンは曲作りの仕方がガラリと変わり、「ディア・プルーデンス」と「ジュリア」をあっという間に完成させたのだ」

また、ハリソンの『ホワイト・アルバム』での曲作りも、インドで一緒に演奏するうちに生まれたものだとドノヴァンは述べている。2016年にドノヴァンは「彼は自分のギターはチェット・アトキンスのピッキング・スタイルだと言っていた」と回想している。「でも、ジョージが気に入ったのは、僕が演奏した音が下がっていくコード・パターンで、これを基にして彼が作った曲が、それまで聞いた彼の曲の中で一番やるせない曲、つまり「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」だった。でも画期的というわけではなかった」(インド滞在中、ドノヴァンは自身の曲「Hurdy Gurdy Man」も作っていて、この曲の序奏部分はハリソンが作っている)

12. 「ディア・プルーデンス」の題材であるプルーデンス・ファローは、ビートルズに大して感心しなかった。

女優ミア・ファローの妹プルーデンス・ファローはビートルズの楽曲「ディア・プルーデンス」のインスピレーションとなった人物だ。よく聞く裏話は、プルーデンスは自分の部屋に引きこもって長時間瞑想を行っていて、レノンとハリソンは彼女の健康状態を心配するようになったという話だろう(ある時、レノンが「彼女は誰よりも先に神を見つけたかった」と言ったことがある。「マハリシのキャンプでは誰が一番に宇宙とつながるかという競争が繰り広げられていた」と)。 プルーデンスは僧院にビートルズがいることなどお構いなしで、どんどん瞑想コースにのめり込んでいった。

プルーデンス・ファローは2015年のローリングストーン誌のインタビューで「周囲は有名人ばかりだったけど大して興味もなかったの」と語った。「ビートルズがいたけど、正直に言うと、私には関係のないことだった。でも、あそこで会った二人、つまりジョンとジョージは大好きになったわよ。あの二人は好みだったから」と。現在は超越瞑想の教師となったプルーデンスは楽曲「ディア・プルーデンス」を1960年代の様子をよく表している曲だと捉えている。「あの曲はあの時の修行のエッセンスを上手く捉えていると思うの。インドという国に滞在しながら静けさの中で瞑想しているという微かにエロティックな感じとでもいうのかしら」


Photo provided by Insight Editions from ’The Beatles in India’ © 2018 Paul Saltzman

Translated by Miki Nakayama

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