田中宗一郎と宇野維正が語る2017〜2018年の洋楽シーン前編

『DAMN.』の偉大さは、“分断”に対する問題意識だと思うんですよ。(田中)

─ じゃあ、ケンドリックがこんなに評価されるのはどうしてですか?

田中 すべてのパラメータで圧倒的だったから、そこは話し出すときりがないくらいなんだけど、ひとつ挙げるとするなら――ここ10年の間に、ある特定のコミュニティにだけ語りかける、それが自分の役割だと思う作家がすごく増えたんです。今が分断の時代だってことの象徴でもあるんだけど。例えば、ケイティ・ペリーは早い時期から「もう男の子に語りかけるのはやめよう。女の子たちだけでシスターフッドを築いていこう」みたいな態度だったし、大方のラッパーにしても基本的に自分たちのブラザーに語りかけてきたとも言える。いい意味で、排他的なアティチュードでもあったと思うんですね。

でも、やっぱり自分とは思想的にも真逆の立場の人々にも語りかけることがポップ・アーティストの役割だという考え方もあるじゃないですか。で、ケンドリック・ラマーもU2もそちらなんですよ。例えば9.11以降、白人のリベラルやエスタブリッシュメントの誰もが共和党やネオコン、キリスト教を批判するなか、むしろ彼らに向けてもメッセージを発信したのがU2だった。

─そう言われると、U2とケンドリックがお互いの新作に参加し合っているのも納得できますね。

田中 ただ今ではフューチャーやミーゴスを聴いているリスナーの半分が白人のティーンになった。もちろん、これは喜ばしいことでもあるんだけど、“でも、それでいいのか?”っていう問題意識というのは、すごく2017年的な命題だと思うんですよ。そういったテーマを、ケンドリックやチャンス・ザ・ラッパー、そして、2017年のもうひとりの最重要人物でもあるチャイルディッシュ・ガンビーノことドナルド・グローヴァー※みたいな人たちはしっかりと共有してるんですよね。彼が脚本を書いて、主演したドラマ『アトランタ』の第9話で、黒人の女の子を奥さんにした白人の検眼医の話があったんだけど――。

※音楽家や俳優などマルチな活躍を見せる才人。2016年作『アウェイクン、マイ・ラヴ!』収録の「Redborn」は、映画『ゲット・アウト』に使われロング・ヒットに。主演/脚本など手掛けた TVドラマ『アトランタ』は第74回ゴールデングローブ賞で作品賞と男優賞に輝いた。

宇野 あのエピソードは本当にすごかった。2017年世界中の映画メディアが年間ベストのトップ3に挙げてる『ゲット・アウト』(黒人差別にも踏み込んだ、2017年公開のホラー映画)と同じように、黒人文化に憧れる白人を揶揄する内容なんだけど、辛辣さでは『ゲット・アウト』の上をいっていた。



田中 要するにエキゾティシズムの問題――例えば、パレスチナ系アメリカ人という立場からエドワード・サイードが書いた『オリエンタリズム』みたいな書物とつながる話なんだけど。ケンドリックが2015年に出した『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』というアルバムは、あからさまな黒人差別が顕在化したことを受けての作品だったわけでしょ? で、「Alright」という曲が、ブラック・ライブス・マター運動に共振する形で称揚された。でも、“黒人の命も大切だ”っていうところから始まった動きが“黒人の命こそ大切だ”と曲解されたりもして、むしろ局地的な衝突が激化することになった。で、去年はまさに分断が決定的になった年で、ヨーロッパだとブレグジット、アメリカだとトランプ政権の誕生があったわけだけど、それに対する処方箋として発表されたのが『DAMN.』だったと思うんですよ。

─なるほど。

田中 では、『DAMN.』の偉大さは、世の中っていうのは白と黒、共和党と民主党みたいに単純な二項対立ではなくて、もっと入り組んだ形でモザイク状に細かく分断しているんだって問題意識だと思うんですよ。ケンドリック自身はたまたま成功したかもしれない。でも、もしかしたら、自分も誰かに撃たれて死んだかもしれない。警官ではなく同胞に撃たれて死ぬ可能性だってあった。だってブラック・コミュニティそのものもモザイク状に分断してるわけじゃないですか。トランプに投票した貧しいブラックも決して少なくない。だって格差社会の象徴みたいなヒラリーには入れなくないでしょ? それに誰かを闇雲に吊るし上げたからと言って、どうなるものでもない。しかも自分たちのカルチャーに大勢の白人が憧れて入ってきた。それも受け入れなきゃいけない。悩ましい時代なんですよ。

そう考えると、きちんと教育を受けた恵まれたジャズ・ミュージシャンたちを招き入れた『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』の後に、マイク・ウィル・メイド・イットを筆頭に若いプロデューサーたちと『DAMN.』を作ったことも無縁ではないはずなんだよね。



宇野 そういう話でいうと、90年代のギャングスタ・ラップの頃と違うのは、ケンドリックとフューチャーの考え方は違うけど、全然対立していない。むしろ作品でコラボしたりライブで共演したりと仲良しですよね。フランク・オーシャンとジェイ・Zも全然表現方法は違うけれどコラボもするし、Blonded Radioのゲストにジェイ・Zがふらっと来たりと、すごく近い関係だし。かつて東西の対立で疲弊していった歴史があるから、みんな思想や方法論は違うんだろうけどゆるやかな団結がある。そこが今のラップ・シーンの強さなんでしょうね。

田中 ここまでラップの話ばかりで呆れられてるかもしれないけど、音楽が社会と密接な形でしっかりつながりながら、サウンドや意識が更新されて、それがプロップスを得て、商業的にも成功したっていうのは、近年だとラップだけなんですよ。

─昔だったらロックが担っていたはずの役割を、今は完全にラップが担っているということですか。

田中 ロックがサブカル化した結果とも言えるよね。特定の閉じたクラスタに向けた趣味の慰めものに堕してしまった。それを作品の中で最初に指摘したのが、それこそテイラー・スウィフトの「We Are Never Ever Getting Back Together」だった。あの曲の“あんたって、あたしから隠れて、あたしのレコードなんかよりクールなインディ・ロックをこっそり聴いて気持ちをなだめたりしてさ”ってリリックは見事に時代を射ぬいてた。ほぼ同時にそこからUSインディが勢いを失っていったという流れがある。2017年も2000年代を牽引したUSインディ・バンドがどれも健闘はしたんだけど商業的にはきつかった。すぐにビルボードの200位以内からいなくなってしまう。要するに、ロック・ファンは発売週にフィジカルを買うけど、それを別に聴いちゃいない。アーケイド・ファイアも全米1位にはなったけど、ツアーをやってもお客さんが全然入らなかったという話もある。だから、これはリスナーも含めたファンダム全体の問題なんですよね。なかなか厳しい話なんです。

(後編に続く)



田中宗一郎
編集者。音楽評論家。DJ。立教大学文学部日本文学科卒業後、広告代理店勤務を経て、株式会社ロッキング・オンに入社。雑誌「ロッキング・オン」副編集長を務めた後、フリーに。97年に編集長として雑誌「スヌーザー」を創刊。株式E会社リトルモアから14年間刊行を続ける。現在はサインマグこと「ザ・サイン・マガジン・ドットコム」のクリエイティブ・ディレクター。飼い猫の名前はチェコフとアリア。

宇野維正
映画・音楽ジャーナリスト。東京都出身。音楽誌、映画誌などの編集部を経て2008年に独立。「MUSICA」「装苑」「GLOW」「NAVI CARS」「文春オンライン」「Yahoo!」ほかで批評/コラム/対談を連載中。著書『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(新潮社/くるりとの共著)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)。1970年生まれ。

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