追悼マーク・E・スミス、その軌跡をザ・フォールの10曲とともに振り返る

その後のアルバムでマークはバンドをダンスフロアへと導いた。これによってバンドは商業面での頂点に達する。バンドの曲が初めてラジオで大々的に流れたのが1988年のカバー曲「ヴィクトリア」だった。このカバーの要は、スミスが採用した雑音混じりのギターサウンドと推進力のあるほぼ機械的なドラムビートで、イギリスのチャートで35位まで上昇し、MTVで放送されたビデオも話題になった。

面白いことに、イギリスで最も売れた1993年のアルバム『The Infotainment Scan』に、シスター・スレッジのカバー曲「Lost In Music」と、グラムロックのリフが特徴的な自作曲「Glam Racket」が収録されているにもかかわらずチャートの40位にも到達しなった。ちなみに「Glam Racket」のリフは、後に人気ブリットポップ・バンドのスウェードがある曲の歌詞の中で「あるバンドからの借り物だ」と批判しているという噂が立ち、注目を浴びることになった曰く付きのリフでもある。

商業的な成功に恵まれなかったとはいえ、それがスミスの不屈の精神を萎えさせることは決してなかった。2004年に臀部を骨折した後もアメリカ・ツアーを続けると主張し、松葉杖でステージに上がり、椅子に座って歌ったのである。



"Spoilt Victorian Child" (1985)


"Hit the North" (1987)


40年に渡る活動期間、ザ・フォールは文字通り何ダースものレコードをリリースしている。その中には批評家たちが傑作として大絶賛した作品もいくつかあったが、多くは取るに足らない、記憶に残らない作品と見なされた。そんななか、彼らはガレージ・ロック(1997年の「Levitate」)、ダンス(ニュー・ウェイヴ風の曲「Hit the North」や「Free Range」に顕著)、レゲエ(リー・ペリーの奇妙なカバー曲「Kimble」)、コンサートロック(イギリスの詩人ウィリアム・ブレイク風味を加えつつウィリアム三世について歌った「I Am Kurious Oranj」)と、異なるスタイルを果敢に取り入れていた。ダンス要素という点では、D.O.S.E.やコールドカットの楽曲にスミスがゲスト参加したこともあった。フランク・ザッパがそうだったように、フォールのディスコグラフィーは世界各地の熱狂的な音楽ファンの間で掘り下げたディベートが交わされる題材となっている。

Translated by Miki Nakayama

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