エディ・クラーク逝去、モーターヘッド立役者の一人が歩んだ音楽人生

1950年ロンドンで生を受けたクラークが真剣にギターを弾き始めたのが15歳。彼はモーターヘッドのオリジナルの黄金トリオの最後の生き残りだった。トリオのメンバー、(レミー・)キルミスターとドラマーのフィル“フィルシー・アニマル”テイラーは共に2015年に他界している。モーターヘッド加入前に彼が参加していたバンドには、ビター・エンド、カーティス・ナイト・ゼウスなどがある。1976年にモーターヘッドに加入。これはモーターヘッドが結成されて1年後のことで、テイラーとの出会いによってオリジナル・ギタリストのラリー・ウォリスのサウンドを補強することになったためだ。テイラーはクラークが修理していたボートハウスの仕事に応募したのがきっかけで、彼らの知り合うこととなった。ウォリス脱退後、1977年にモーターヘッドはセルフタイトルのデビューアルバムをリリース。クラークはバンド初期の頃に行ったマンチェスターでのギグで「ファスト・エディ」というニックネームを貰った(「あれは理に適っていた。エディは速弾きギタリストだったから」とキルミスターが自叙伝で記している) モーターヘッドでの役割は主にギタリストだったが、時にはボーカルも担当し、デビュー後の5年間、モーターヘッドの人気はうなぎ登りとなった。

「エディとフィルが加入して、俺たちが特別なバンドになったと感じたよ」とキルミスターは以前語っていた。書籍『Lemmy: The Definitive Biography』(ミック・ウォール著)によると、「あのバンドは初日から最高のバンドだった。(前のバンド)ホークウィンドでは3曲しか作ったことがなくて、まだ上手く曲作りができなかった。しかし、このバンドは常に永遠の負け犬で、俺たちはそれが得意だったのさ」

楽曲『Ace of Spades』での、エディの牙を剥くようなロックンロール・リフを、キルミスターのつっかえながら進むベース・ラインが補い、フロントマンが「死者の手」を握るという歌詞を激しい苦痛を伴う嘆きのように歌う。この曲は彼らのシグネチャー・ソングとなった。また、殴打の如く響く『Overkill』に彼はブルージーな感触を加え、ファン一番人気の『No Class』にはファンキーなジョン・リー・フッカー的リフを加えている。『Overkill』は後にメタリカがカバーした。そして、ライブ・アルバム『No Sleep ‘Til Hammersmith』収録のバンド名を冠した曲『Motorhead』は、キルミスター渾身のアンフェタミン賛歌で、イギリスのヒットチャートでバンド最高位まで上がったシングルだ。

Translated by Miki Nakayama

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