ローリングストーン誌が選ぶ「2017年再発盤」ベスト15

12. ラル&マイク・ウォーターソン 『ブライト・フィーバス』

60年代イギリスのフォーク・リバイバル・ブームの中、ウォーターソン家の姉、弟、妹の内の2人、妹ラルと兄マイクが組んだヴォーカルグループ。オリジナルアルバムは、伝統的スタイルと新しい波が交錯する70年代初めに作られ、全曲2人による作曲だ。チェロやオーボエなど斬新な楽器がフィーチャーされ、マーティン・カーシー(ヴォーカル)、アシュリー・ハッチングス(ベース)、リチャード・トンプソン(ギター)など、スティーライ・スパンやフェアポート・コンヴェンションのメンバーもゲスト参加している。ウォーターソン家のレーベルの経済的事情により、1972年には1,000枚のみがリリースされた。イギリスのフォーク・ミュージック関連のメディアは、彼らのモダニズム化を嘆き、アルバムを酷評するか、無視した。未公開のデモも含む2枚組の本リイシューで、ついに正しい評価を受けることとなった。2017年8月時点で、イギリスのアルバムチャートのトップ30以内に入ったのだ。

13. メタリカ 『メタル・マスター』

1986年3月にリリースされたメタリカのサードアルバムで、初期の4枚の中で最初にブレイクした作品だった。作曲や演奏もこなれてきた時期だったが、ベーシストのクリフ・バートンが突然この世を去るという悲しい傷跡の残る勝利でもあった。バートンはその年の9月、ストックホルムでのコンサート後、ツアーバスの事故により死亡した。メタリカのリイシューシリーズのひとつを構成する3枚組CDで、ほとんどのヘッドバンガーたちを満足させるに十分な内容だ。『バッテリー』、『メタル・マスター』、『ウェルカム・ホーム(サニタリウム)』のデモを聴くと、ドラマーのラーズ・ウルリッヒとシンガー&ギタリストのジェームズ・ヘットフィールドによる、エピソードを基にした曲作りの進化や、1982年に作ったデモテープ『No Life ’Til Leather』の頃のスピリットが見えてくる。約1時間のライヴ音源には、バートンが生前最後に参加したツアーからのものも含まれる。熱烈なファンには、CD10枚、アナログ盤3枚、DVD、バートンのラストライヴを録音したカセットのボックスセットがたまらない。筆者が初めてメタリカを観て、ライヴ後にインタヴューしたのは、ニュージャージーでのオジー・オズボーンの前座として出演した時のものだった。その1986年4月21日の未発表音源も、今回のリイシューに含まれる。今なおその時の興奮と熱狂が蘇る。

14. アートフル・ドジャー 『ザ・コンプリート・コロンビア・レコーディングス』

CD2枚組セットには、1970年代半ばのパワーポップ・クインテットによる3枚のアルバムが含まれる。もしも運命の女神がもう少し優しければ、ビッグ・スター、バッドフィンガー、ザ・ラズベリーズらの作品と共に歴史に刻まれたことだろう。その代わりアートフル・ドジャーは、ヴァージニア州フェアファクスの道路に埋まる、考えうる限りすべての地雷を踏んで回った。ブッキングエージェントはアイアン・バタフライやテッド・ニュージェントのコンサートに彼らを出演させた。レーベルは、別の所属アーティスト、ブルース・スプリングスティーンの爆発的人気に気を取られていた。1975年のアルバム『アートフル・ドジャー』には、リヴァプールから来たエアロスミスのようなアクションの『ウェイサイド』、67年のザ・フーを思わせる『フォロー・ミー』、バラード曲『イッツ・オーヴァー』など、FMラジオでかかればヒット間違いなしという曲もあった。しかし、どれもバンドの顔を有名にするまでには至らなかった。彼らには、もっと別のサクセスストーリーがあったはずだ。本リイシューを聴けばそう言う理由がわかる。

15. ティム・バックリィ 『ヴェニス・メイティング・コール / グリーティングス・フロム・ウエスト・ハリウッド』

『ヴェニス・メイティング・コール』はCD2枚組で、同時にリリースされた『グリーティングス・フロム・ウエスト・ハリウッド』は、1969年9月、ロサンゼルスのトルバドールで行われたライヴが2枚のLPに収められている。同ライヴは1994年にもリリースされているが、今回のリイシューでは、1994年版とは異なるステージからの音源を使用している。1969年は、バロック・サイケデリックからフォークジャズ・トランスまで、バックリィが精力的に歌い、制作に取り組んだ時期だ。このライヴの2週間後には、ドラマチックな実験的アルバム『ロルカ』を完成させている。1969年11月にリリースされた『ブルー・アフタヌーン』は、印象派の繊細さを感じさせる。楽器同士の殴り合いのような演奏は、まるでエレクトリック版マイルス・デイヴィスさながらだ。リイシューのそれぞれに別バーションが収められた『ジプシー・ウーマン』では、バックリィのスリリングなヴォーカルが聴ける。彼はその後、理解の難しい白人ソウル音楽へと走り、1975年に28歳の若さで亡くなった。本リイシューで聴くことのできる音楽は、彼の後年の楽曲よりも親しみやすい。

Translation by Smokva Tokyo

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