その千鳥の結成の経緯。
2人は地元の高校の同級生だった。先にお笑いを志したのは大悟。高校を卒業すると地元を離れ、大阪へ行きピン芸人になった。一方ノブは広島で就職をしていたが、人生こんなもんかなぁとどこかモヤモヤした日々。そんなとき、大悟から運命の連絡がノブに来た。“俺、大阪でピン芸人で成功しとるから、大阪に来て一緒に漫才せえへん?”と。ノブは、ピン芸人で成功している大悟と組むのなら成功間違いないと皮算用して、会社を辞めて大阪に行った。
「大阪に行ってみたら、大悟、全然売れてせぇへんし」とノブはあきれた顔で当時を振り返る。完全に大悟にハメられたわけだが、大悟は特に反省した様子はなく「ノブも来たそうやったし。あれはついてもいいウソやった」とニヤリと笑う。
聞けば、大悟を頼りにノブが初めて大阪に来たとき、アメ村でキレイな女性に声をかけると、早速朝まで飲めたそうで、“大阪はこんな楽しいことが毎晩なんや”とノブは思い込んでいたという。つまり、どっちもどっちのズルズルな感じで大阪でコンビを結成することになったわけだ。ちょうど2000年の出来事だった。
ただ、最初から今のように漫才がウケていたわけではない。大悟が振り返る。「最初は普通によぉ滑ってました。しかも昔は今より態度が悪くて、2人とも(笑)。だから滑っても今日の客アカンなぁって客のせいにしてましたね」と。ノブが続ける「ウケてはなかったですけど、笑い飯やバッファロー吾郎さんといった先輩たちが、ネタ面白いねぇって言ってくれたんで、これでいいやって思ってました」と。自分たちが面白いと思う先輩の言葉を信じ、ネタの路線変更することなく、キャリアを重ねていった。
そして、2004年からM-1決勝に出場を果たすようになる。M-1決勝は2年連続で最下位だったが、徐々に変なネタをする漫才コンビとして周知されるようになり、その後の活躍は皆さん知っての通りだ。
千鳥の笑いについてノブがこんな話をしてくれた。「ネタに関して言えば、大悟が同じことをやるのにすぐに飽きて、アドリブをどんどん入れてくるんですよ」と。大悟が続く「何度も同じことを同じ感じでやっていると、2人とも機嫌が悪くなってくんです。楽しくないから、ノブは俺に“たまには違うこと言えよ”って顔してるし、こっちもオモロうないから、敢えて違うこと言うとそれでノブが笑うっていう。
しかも、普通の漫才ってオチの大ボケに行くまでに小ボケがあって、そこはちゃんとツッコむもんなんですよ。でも、ノブはネタに飽きてる小ボケの段階で、俺がネタ通りにボケると“お前オモロうないな”って言ってくる始末で。こうなるともう普通の漫才はできへんですよね。台本書かずにネタを作ってきた罠がこんなところにあったかっていう(笑)」
そして、ノブが千鳥の笑いをキレイにまとめてくれた。「これはプロとしてアカンんのやろうけど、究極、僕ら2人が楽しかったら、それでいいかって」。大悟もそれに同意する。「客にウケるのが一番ですけど、僕がノブを笑わし、ノブが僕を笑わす、それが僕らには合っているのかもしれないですね」と。