AC/DCマルコム、揺るぎないビジョンでバンドを牽引した40年

マルコムは兄ジョージ・ヤングのお膝元で学んだ教訓を内在化していた。ジョージは1960年代のオーストラリアでヒットを連発した伝説的なバンド、イージービーツのギタリスト兼ソングライター兼プロデューサーだったが、マルコム同様に控えめな役割に徹していたのだった。また、ジョージは元イージービーツのギタリスト、ハリー・ヴァンダとプロデューサー・チームを組んでさまざまなアーティストのプロデュースを行い、マルコムとアンガスがAC/DCを結成する頃にはプロデューサーとして成功を収めていた。(ジョージはヴァンダとともにAC/DCの初期アルバム『TNT』(原題:T.N.T.)、『パワーエイジ』(原題:Powerage)、『ロック魂』(原題:Let There Be Rock)もプロデュースした。今年10月22日に70歳で他界) ジョージ同様に、マルコムも下腹にガツンと響くだけの単純なリフには決して満足しなかった。これにスウィングするグルーヴとキャッチーなコーラスが加わって初めて、最大のインパクトを持ったサウンドとなるのだ。

「レコーディングとミキシングに関して、マルは俺よりも耳が良かった」とアンガス。「若い頃、マルの方が音をあれこれ試してみたりして、サウンド面に意識を向けていたんだ。俺よりもサウンドに注意していた。俺はどっちかというと、いい音を見つけて、それを弾くってタイプ。自分のアンプの音を決めるのもマルが手伝ってくれたよ。『このマーシャル、俺の欲しい音を出してくれない』と愚痴ると、マルが手を貸してベストな音に調整してくれたものさ」

1980年2月に突然スコットが不運な事故死を遂げたあと、バンドの結束を保ったのもマルコムだった。所属するマネージメントやレコード会社が次のボーカリストを探せとプレッシャーをかける中、マルコムは一切耳を貸さずに、作りかけていた楽曲の完成に全精力を注ぐことを優先した。これがのちのアルバム『バック・イン・ブラック』である。アンガスがこう説明してくれた。「(ヴォーカリストのオーディションの)提案がたくさんあったよ。でも、マルコムが俺に『音楽が完成したと確信したときにやればいい。音楽以外のことは後回しでいい』と言い続けた。俺たちは誰にも急かされたくなかったんだ」

64歳という若さでマルコムがこの世を去ってしまったことは、世界中のAC/DCファンにとってはこの上ない衝撃だが、アンガスによってAC/DCの幕引きがなされるのを誰も望んでいないはずだ。マルコムがバンドを離れたあとですら、AC/DCは決して遅れない高級時計のように機能し続けていた。マルコムの引退後もバンドはそれまで通りに活動を続け、2014年には甥のスティーヴィー・ヤングをリズム・ギターに迎えて、アルバム『ロック・オア・バースト』(原題:Rock or Bust)のレコーディングとツアーを行っている。しかし、マルコム不在でもバンドが活動を続けるからといって、マルコムの重要さが否定されたわけではない。それどころか、マルコムが作った楽曲の素晴らしさ、彼が設計して作り上げた音楽マシーンAC/DCの完璧さを証明しているのだ。世界のどこかで窓ガラスをガタガタ揺らしながら、Aコードを嬉々として響かせるギタリストがいる限り、マルコム・ヤングのスピリットは生き続けるだろう。マル、そっちでもロックしてくれ!

Translated by Miki Nakayama

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