世良公則&ROLLY対談:ツイストの名曲から70年代ロック黎明期を振り返る

By Joe Yokomizo
Photo by Takeaki Hanaya
 
R:あのブレイクに行くまでのアクションの感じは、エルヴィス・プレスリーからの流れを感じるんですけど。エルヴィス・プレスリーなのか空手なのか。
 
S:どっちも正解(笑)。というのも、僕はヴォーカリストとしてロックンロールとかロックミュージックをメジャーにしたのはエルヴィス・プレスリーだと思っているので。彼が最初にアメリカの番組に出た時に"卑猥すぎる"って上半身しか映してもらえなかった逸話とか、兵役から帰ってきたプレスリーが短い髪に黒のジャンプスーツでBBCだかABCだかでスタジオライヴをやった時の映像とか、そういうのを見たり聞いたりして"むちゃくちゃすごい人だな"と思ってたの。その時はベーシストだったけど、ヴォーカルで誰が好きかと言われたら実はエルヴィス・プレスリーだった。でも、バンドでやっていたのはスモール・フェイセスとかフェイセズとかストーンズのコピーだったから、僕の先代のヴォーカリストはもちろんミックとロッドを足したみたいな人間で、そいつをずーっとベーシストとして後ろから見てきてヴォーカルってああやるものなんだとも思っていて。それで自分がヴォーカルになった時、プレスリーの立ち姿ってカッコいいじゃない。腕の回し方とか、まるでバンドを指揮しているような感じとか。それまでヴォーカルはバンドの演奏に合わせて歌を歌っているだけで、指揮するのはドラマーだったりメインギターだったりしたんだけど、プレスリーは観客もステージの上も照明も全部自分がコントロールしているんですよ。
 
R:確かに!
 
S:僕は常々そういうバンドの方が面白いと思っていたし、演奏に乗せてただ歌うのではなくて、ヴォーカルそのものが演奏という感覚で仕切るようなスタイルにしたかったんだよね。それと、若い頃からのヤンチャな部分の融合。それが"空手"に見えたのかも。世界歌謡祭出た時も、海外エントリーのミュージシャンたちがリハなのに武道館のアリーナ席にドワーッと集まってきて"ウォー! カラテボーイ!"って(笑)。自分としては空手をやっているつもりではなかったんだけどね。楽器を外されて手持ち無沙汰だったというのと、プレスリーの感覚と、先代ヴォーカリストのロッド・スチュワートやミック・ジャガーのUKロックンロールの感覚の融合体だった。
 
R:なるほど。出だしのブレイクの溜めに溜めた感じって、あれに近いですよね。確かマイケル・ジャクソンがロシアの赤の広場でやった公演だったと思うんですけど、ステージの真ん中に穴が開いていてピョーン! とそこから飛び出してきたと思ったら、直立不動のまま2分間静止した時の。何万人もの視線を受け止めて、それでも負けないっていうのが真のヴォーカリストでありスターだなと今の世良さんの話を聞いていて思いました。大体コンテストとかって、その場の空気感を持っていくバンドがいるんですよ。そういうバンドは出演者もみんな見に来る。そうなったらもう、勝手に昇っていくんです。僕は中学2年生の時に初めて8.8ロックのジュニアクラスに出たんですけど、その時やっていたのが猟奇納骨堂っていうバンドで。
 
S:すごい名前だね(笑)。
 
R:黒マントに目だけ出たマスクで、フラワー・トラベリン・バンドの『SATORI Part2』を延々やるっていう。その時はやっぱり全員見に来ましたね。
 
―そうでしょうね(笑)。
 
R:あとは、沖縄民謡の『てぃんさぐぬ花』っていう曲をロックアレンジしたやつも演りました。決勝戦では惜しくも鳴かず飛ばすでしたけど、いまだにそれを見てたっていう人がいて"お前あれ出てたやろ~!"って言われることがありますね。世良さんが8.8に出られた頃って、紫とか一緒でした?
 
S:そうそう。本土上陸ってゲスト出演してた。
 
R:毎年BOURBON RECORDS(バーボン・ レコード)から2枚組のライヴ盤が出ていて、それを聴いてました。
 
S:当時そこには入らないくらいのバンドだったんだけどね。レコードには入らないけど審査員からおもろかったよって言われるっていう。その翌年、決勝まで行ってもやっぱりレコードにはならない常にギリギリあやしいところだった(笑)。

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