謎の男に扮して韓国を熱狂させた國村 隼が映画『哭声/コクソン』を語る

By Yasuo Murao 2017/03月号 P19〜19 |
(C)2016 TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION

―國村さんは、この男をどのような存在として捉えていましたか。

人間が生まれる以前から存在しているもの。神か悪魔かわからないものですね。まあ。神と悪魔は表裏一体だと思いますけど、観る者によっては神にも悪魔にも見える。少なくても人じゃない何かです。

―面白いキャラクターですが、演じるのは難しそうですね。ナ・ホンジン監督とは撮影前に役については話をされたのですか。

ある程度は話しました。例えば監督が"最後のシーンは神様か悪魔か、どっちのつもりでやる?"って聞くので、"悪魔のほうが楽しそうやから、悪魔かなあ?"とかって(笑)。


写真左がナ・ホンジン監督 (C)2016 TWENTIETH CENTURY FOX FILM CORPORATION

―映画のなかで、男は日本人だろうという設定でしたが、コミュニティを脅かす存在が日本人だろうという設定に抵抗はありませんでした?

最初はありました。最初、役名が"日本人"になっていたんです。お話のなかで村人たちが"あの日本人"と言うのは大丈夫だと思うけど、役名を"日本人"としてしまうとキャラクターともそぐわないし、別の意味合いが出て来たりするのがすごくイヤだなって。だから、撮影に入る前に"役名を日本人じゃなくしてくれ"って頼んだんです。あまり政治的なことにお客さんの意識が行かないように。それで"外地人(日本語で異邦人の意)"になって。映画を観てもらえば、"日本人=悪役"みたいなステレオタイプな話じゃないとわかってもらえると思いますけど、そういう誤解をされることは極力排除しようと思いました。

―映画では、"日本人=悪役"という偏見が村人を混乱に陥れたわけで、そういう偏見を疑わなければいけないという物語でもありますよね。

まさにそうなんです。一番恐ろしいのは悪魔ではなく、人間の妄想というか、不安に根ざしたいろんな疑心暗鬼じゃないかということが、この映画から伝わってくるんじゃないかと思います。

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