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ローリングストーン誌に見るビートルズ年代史

Rolling Stone | 2017/02/12 13:30

| ローリングストーン誌に見るビートルズ年代史 |


追悼 ジョージ・ハリスン
2002年1月17日



1998年に癌が発覚してから約1年間に渡る闘病の末、2001年11月29日、ジョージ・ハリスンは他界した。ローリングストーン誌では、"寡黙なビートル"の追悼特集を組んだ。トム・ペティ、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、オノ・ヨーコ、エルトン・ジョン、ポール・サイモンら多くの人々が追悼の言葉を寄せた。「彼は、とても広く大きな心を持った人間だった。慈愛に満ち、ウィットとユーモアのセンスがあり、賢明で崇高な良識ある人間で、人々への思いやりに溢れていた」とボブ・ディランは言う。「彼は慈愛の心を広め、百人力のパワーがあった。彼は太陽のようであり、花のようであり、月のようでもあった。我々は彼を失ってとても悲しい」。特集ではまた、ビートルズ解散後のジョージの活動を紹介し、彼の代表的な25のパフォーマンスも解説している。

歴代ナンバー1アルバム
2003年12月11日



ローリングストーン誌による"2003年歴代ベスト・アルバム500"を選定するにあたり、アーティスト、プロデューサー、レコード会社幹部、レコード・ショップのオーナー、ジャーナリストなどを含む実に273名の人々が投票に参加した。集計が完了する頃には、"歴代ナンバー1アルバム"も明らかになった。本誌は、歴史上最も偉大なロックン・ロール・バンドによる『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を、歴代で最も重要なロックン・ロール・アルバムに選んだ。「コンセプト、サウンド、作詞作曲、アルバム・ジャケット・デザイン、スタジオ技術の何れも冒険的で卓越したものである」と認定した。本誌は本アルバムを、「ミュージシャン、パイオニア、ポップ・スターとしての資質を兼ね備えたビートルズが残した全ての作品の中でも最高の仕事」と評した。

一夜にしてアメリカを変えたビートルズ
2004年2月19日



1964年2月9日、ビートルズはエド・サリヴァン・ショーに出演し、全米で7300万人が視聴した。ローリングストーン誌は、ビートルズの重要なターニング・ポイントとなった番組出演の40周年を記念し、放送の裏側を描いた長編特集記事を掲載した。エド・サリヴァン・ショーでのパフォーマンスは、アメリカの音楽を変えただけでなく、アメリカ人の生活にも大きな影響を与えた。これはある意味、50年代に同番組へ出演したエルヴィス・プレスリーを凌ぐものだった。「とにかく、スタジオに集まった若い女の子たちのもの凄い叫び声以外は何も聴こえなかった。」と、エド・サリヴァン・ショーで副ディレクターを務めたジョン・モフィットは、当日の状況を振り返る。「ギター・アンプのパワーを凌ぐ歓声だった。カメラマンもこちらからの指示が全く聴こえず、観客たち自身も、自分たちの金切り声以外は何も聴こえなかったと思う」。サリヴァンはビートルズの出演をきっかけに、ロックを番組の中心に据え、ザ・ローリング・ストーンズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、ザ・シュープリームス、ザ・バーズ、ザ・ドアーズをはじめ多くのロック・ミュージシャンをゲストに招くようになった。MTVからスポーツ中継の合間に流れる音楽まで、ロック・ミュージックがテレビから常に流れるようになった今の時代の礎を築いたのは、ビートルズのエド・サリヴァン・ショー出演がきっかけだった。「ロックが世間に定着したのは、あの夜が全ての始まりだ」と、ローリングストーン誌は結論付けている。

ビートルズ解散の真相
2009年9月3日



ビートルズ作品のCD化から20数年が経った2009年、初めてのリマスター盤がリリースされたのを機に、ローリングストーン誌はバンド解散の理由を再検証した。カバー・ストーリーでは、世界で最も偉大なバンドを解散に追い込んださまざまな内部事情を明らかにしている。「ビートルズのように強い4人は、誰かが無理強いしても分裂させることはできないと思っていた」と、オノ・ヨーコは証言する。「だから外部からの力ではなく、内部で何かが起きたのだと思う」。記事では、『ホワイト・アルバム』を製作中の60年代終盤から、1970年の解散騒動までの時期に注目した。ジョン・レノンがオノ・ヨーコをスタジオに同行させるようになった件、アップルの経営問題、アラン・クレインがポール・マッカートニー以外の3人をマネジメントするようになった件、"ツアーを再開しよう"と言うマッカートニーの申し出をレノンが断った件など、解散につながったと思われるさまざまな要因を検証している。「もう遠い昔の話さ」と、ジョージ・ハリスンは言う。「本当に僕はビートルズの一員だったのか、それとも全部が夢だったのかって、時々自問しているよ」。

ジョン・レノン、最後の日々
2010年12月23日、2011年1月6日



ジョン・レノン殺害から30年後、ローリングストーン誌は1980年のビートルズのインタヴュー全文と併せ、レノンの最後の日々を振り返るオノ・ヨーコによる寄稿を掲載した。当時2人は、共作アルバム『ダブル・ファンタジー』のプロモーションを行っていた。「ジョンの人生最後の朝、セントラル・パークには、明るい目とふさふさした尻尾のように晴れた青い空が広がっていた。スタジオを後にする時、コントロール・ルーム横の部屋でジョンは私を見つめた。私も彼を見た。彼の目は、何か大切なことを伝えようとしていた。"なあに?"と私は尋ねた。彼の言葉を心に刻み、その深く優しい声は決して忘れない。彼は最も美しい言葉をかけてくれた。言葉に詰まった私は、しばらくして"あぁ"と声を出し、視線をそらした。40を過ぎて大切な人からあんな言葉をかけてもらえるなんて… 私はとても幸せな女性だと思うわ」と、オノ・ヨーコは書いている。

ジョン・レノンの最後のアルバム


アメリカを席巻したビートルズ
2014年1月16日



ビートルズのアメリカ進出から半世紀後、ローリングストーン誌は、メディアをバカにし、レコード・レーベルは役に立たず、国中がジョン・F・ケネディ暗殺のショックから抜けきれていない状況の中で、バンドが先の見えない勝負を制し、ロック界最大の爆発を起こすことができた経緯をカバー・ストーリーで検証した。また、バンド内の危機をどうやって乗り越えてきたのかにも触れている。「アメリカにはアメリカのバンドがいる。僕たちはいったい何をしたらいいんだ?」と、アメリカへ向かう機内でポール・マッカートニーはフィル・スペクターに言った。ところがエド・サリヴァン・ショーへの出演により、彼らの運命は一夜にして変わった。記事では、彼らがチャンスを掴み、前例のない文化的勝利を得るまでの事情通による裏話も楽しめる。

ポール・マッカートニー、失われたビートルズを振り返る
2016年8月12日



ポール・マッカートニーは、彼の登場する最新のカバー・ストーリー向けのインタヴューの中で、『Just Fun』という曲の歌詞を思い出していた。本格的にビートルズとして活動を始める前にジョン・レノンと書いた曲で、レコーディングもされていない。「小型の学習ノートに、こんな歌詞を書き溜めていたんだ。それでページの右上には"レノン=マッカートニー・オリジナル"って書いてね。そんな所から地味に始まった」とマッカートニーは振り返る。当時は"酷いな"と思った曲でも、今聴き返してみると逆に良かったりするものさ。それがザ・ビートルズさ」。彼はまた、噂されるリンゴ・スターとのツアーの可能性を否定した。この世に残るメンバーによる本格的な再結成の夢は、完全に打ち砕かれた。「ロックの殿堂などのステージには一緒に上がると思う。でもツアーはね…」

ポール・マッカートニーインタヴュー全文(前編)はこちら
Translation by Smokva Tokyo

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