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ローリングストーン誌に見るビートルズ年代史

Rolling Stone | 2017/02/12 13:30

| ローリングストーン誌に見るビートルズ年代史 |


過去のビートルズと和解するジョン・レノン
1975年6月5日



カヴァー曲を集めたアルバム『ロックン・ロール』のリリースから数ヵ月後、ジョン・レノンはローリングストーン誌のインタヴューで、自らの人生について赤裸々に語った。このアルバムは、オノ・ヨーコと暫く距離を置いていた時期に、フィル・スペクターとすったもんだしながらようやく仕上げたものだった。彼は、ビートルズのメンバーたちとの関係、ウイングスの『バンド・オン・ザ・ラン』への親近感、エルトン・ジョンやデヴィッド・ボウイによるビートルズのカヴァー曲が好きな理由、過去の栄光に感じることなどを語った。「つまるところ、僕が今何をやってもビートルズの他のメンバーと比較されてしまうということさ。例えば僕がバレエを踊れば、ポールのボウリングが引き合いに出される、といった感じでね。そういうものだと思って諦めるしかないのさ」。レノンはまた、他のメンバーとの共演の可能性についても触れている。「僕は、やろうと思えば誰とでも一緒にできるさ」。

マッカートニーの飛躍
1976年6月17日



ウイングスによるスタジオ・アルバム『スピード・オブ・サウンド』がリリースされ、3枚組LPのライヴ・アルバム『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』の音源となるツアー中に、マッカートニーはローリングストーン誌のインタヴューに登場している。この前年からマッカートニーはついに、コンサートのセット・リストにビートルズの曲を入れるようになった。バンドの分裂と、その後の他の3人のメンバーの代理人を務めたアラン・クレインやアップルの権利を巡る法廷闘争による"トラウマ"を克服するまでに長い時間がかかったという。「ビートルズの曲を演奏するのは、何だかまた奇妙な夢を見ているような感じだった。ヨーロッパ・ツアーのプロモーターの一人から、"コンサートの最後に、ギター一本で『イエスタデイ』をやってくれないか"と言われたんだ。僕は"とても受け入れられない"って思った。周囲からの雑音も多いからね」。マッカートニーはまた、レノンがソロ曲『ゴッド』の中でビートルズに関して「夢は終わった」と歌っているのを引き合いに出し、「僕自身もビートルズ・ファンの一人だし、ジョンが"全ては夢だった"と言うのも理解できる。でも同時に、"いや、そうでもなかったかな"という思いもある。夢のようでもあったし、たいしたことでもなかったような気もする。実際は、決して"たいしたことでない"ってことはなかったんだけどね」。

ウイングスによるビートルズ・カヴァー曲(アルバム『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』より)


ジョージ・マーティンによる回顧録
1976年7月15日



ビートルズの解散宣言から6年後、ローリングストーン誌は、ファブ・フォーの2枚組コンピレーション・ベスト・アルバムのリリースに合わせ、カバー・ストーリーでバンドを特集した。記事では、評論家グリール・マーカスによる収録曲の再批評や、プロデューサーのジョージ・マーティンによる収録曲の制作秘話やスタジオで使ったトリックの裏話などを読むことができる。『エニイ・タイム・アット・オール』で、ジョージ・ハリスンのギターに合わせてマーティンがピアノを弾き、スロー・スピードで録音することでベース・ラインを作った方法や、『アイム・ダウン』でジョン・レノンが肘を使ってオルガンを弾いた話、『トゥモロー・ネバー・ノウズ』で、メンバーが持ち込んだ20種類ほどのテープ・ループをどのように組み込んだか、などをマーティンが明かした。彼はまた、ビートルズのバンド内の関係についても語っている。「ジョージはポールの親分肌を気に入らなかった。ジョージとしては、他の2人とフロントで同列に並びたかった。彼には才能がある。でもレノンとマッカートニーのようなずば抜けた才能を持つ2人がいると、周りは霞んでしまう。だからある意味、私はジョージを放置していた。今考えれば、"もっと彼を引き立てればよかった"と後悔している」。


全ての"5人目のビートルズにうんざりするジョージ・ハリスン
1979年4月19日



この年、『ブロー・アウェイ』や『愛はすべての人に』のヒット曲を含む、自分の名前を冠したアルバム『George Harrison(邦題:慈愛の輝き)』をリリースしたジョージ・ハリスンは、ビートルズ解散後の生活や、ビートルズ時代の話をユーモラスに語った。ハリスンは、ビートルズ最後のルーフトップ・コンサートから約10年の間、"5人目のビートルズ"と称する人々の出現にうんざりしていた。「世間には1000万人もの"5人目のビートルズ"がいる。本当にうんざりだよ。"ビートルズに貢献した"と言い張る人々は皆、自分が何を言っているのかわかっていない。ザ・ビートルズは、彼らの人生に一瞬だけ関わったのかもしれない。でも15年経っても尚、そのたった10分間のことを自慢し、何も知らない若者たちから金を巻き上げている。モラルのかけらもなく酷すぎる。そんなことが許されていい訳がない」とジョージは言う。ジョージはまた、ビートルズの他のメンバーが、彼のシタールによる実験的な試みを受け入れた理由についても説明している。「『ノルウェーの森』で僕にシタールを弾くように勧めたのは、確かジョンだったと思う。僕らはこの曲で初めてシタールを取り入れたんだ」と、ジョージは振り返った。「次にポールが、"インド風の曲"のストックがもっとないかと聞いてきた。彼はすぐに僕の書いた曲を気に入った。でもその時は、彼はシタールを演奏しなかった。『ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー』は、僕と何人かのインド人ミュージシャンだけでスタジオ録音したんだ。今聴き返してみると、ちょっとぼんやりした感じに聴こえるね。シタールのソロは良いけど」。
Translation by Smokva Tokyo

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