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ローリングストーン誌に見るビートルズ年代史

Rolling Stone | 2017/02/12 13:30

| ローリングストーン誌に見るビートルズ年代史 |


ビートルズの派手なラスト・ライヴ
1970年7月9日、1987年6月4日



ビートルズが解散する約1年前の1969年1月30日、4人はロンドンにあるアップル・コア社の屋上でファイナル・コンサートを行った。1時間足らずのライヴ中に演奏したバンドのオリジナル曲は5曲だけで、『ゲット・バック』は2度演奏している。しかし不思議な時間だった。ライヴの最後には「グループと僕自身から感謝申し上げます。我々がオーディションに合格しているといいのですが」とジョークを飛ばした。このライヴは、映画『レット・イット・ビー』のシーン撮影のために行われたものだった。ローリングストーン誌は、映画が封切られた直後の1970年、映画の裏話を含む詳細な記事を掲載している。例えば、撮影には何百時間もかけたこと、『ゲット・バック』は元々政治色の濃い曲だったこと、50年代のロックン・ロールをスタジオで演奏したがお蔵入りしたことなどが明らかになっている。1987年、ローリングストーン誌はこのライヴを、『ロックン・ロールを変えた20のコンサート』のひとつに選出した。ジョージ・マーティンはこの時の記事のインタヴューで「このライヴは本当に素晴らしかった。ウェストミンスター寺院にも届くほどのとにかく凄まじい大音量だった」と当時を振り返った。監督のマイケル・リンゼイ=ホッグが本誌のインタヴューで明かしたところによると、ライヴ後にメンバーたちは、"その状況を楽しんだ"ということ以外、ほとんど語らなかったという。

ジョン・レノンのロング・インタヴュー
1971年1月21日、2月4日



この年のローリングストーン誌は、ビートルズの実質的解散を受け、ジョン・レノンへの徹底インタヴューによる2部構成の『ローリングストーン・インタヴュー』から始まった。インタヴューは、レノンとヨーコによるプラスティック・オノ・バンドのアルバムのレコーディング直後に行われた。「このアルバムは今まで作ってきた作品の中でもベストだね」とレノンは語っている。この時はまだ、ビートルズが分裂して間もない頃だった。ジョンのソロ名義の曲『ゴッド』の中で"ビートルズを信じない"と歌ったことに対し、「ビートルズは別の次元の神話さ」と説明している。「神話の存在は信じない。夢は終わったのさ。ビートルズのことだけを歌ったのではなく、世の移り変わりについて歌っているのさ。物事には終わりがあり、また現実に引き戻されるんだ」。ただレノンのこの発言も、「過去を振り返らない」という意味ではない。数々の問題発言の合間にレノンは、ビートルズの他のメンバーのソロ・アルバムの感想、4人の音楽的才能、LSD体験、多くの楽曲やメンバーにまつわる話などを語っている。「『サージェント・ペパーズ』がピークで、その頃はポールと僕の共同制作関係も強力だった。僕の音楽的には『ホワイト・アルバム』の方が良いので、そっちも気に入っているけれど、『サージェント・ペパーズ』が頂点だったことは間違いない」。

ジョージ・ハリスンによるバングラデシュ・コンサート
1971年9月2日



1971年に勃発したバングラデシュ独立戦争により、7万人以上のベンガル人難民がインドへ亡命した。自らもベンガル人であり、1960年代からビートルズと交流のあったミュージシャンのラヴィ・シャンカールが、故国での惨状をジョージ・ハリスンに伝えた。それを聞いたハリスンは、インド周辺で起きている悲劇を世に知らしめ寄付金を募るため、歴史に残る素晴らしいチャリティ・コンサートを実現した。1971年8月、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたこのコンサートを、ローリングストーン誌は詳細に追っている。コンサートにはハリスンとシャンカルのほか、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、ビリー・プレストン、レオン・ラッセル、ボブ・ディランらが参加した。「全員がハッピーだった。"参加してよかった"と、お互いに感じ合っていた。もう長い間、このようなイベントは行われていなかった」と、シャンカールはコンサート後のローリングストーン誌のインタヴューで語っている。

ポール・マッカートニーの中にあるビートルズとしてのプライド
1974年1月31日



ポール・マッカートニーがウイングスの代表作となるアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』をリリースした1ヵ月後、『ローリングストーン・インタヴュー』のロング・インタヴューに臨み、ツアーの世界へ復帰した心境を語った。ビートルズのルーフトップ・コンサートが1969年に行われたが、実際にバンドは1966年以降ツアーに出ていなかった。だからこそ1972年にウイングスとしてロードに出たのは、マッカートニーにとって重要な出来事だった。「最初はとても緊張した」と彼は言う。「"ビートルズの曲は一切封印しよう"と決めていた。もちろん、ビートルズの曲をやれば盛り上がることはわかっている。その代わり1時間もビートルズ以外の曲を演奏しなければならないし、僕らにはそれだけのストックもない。それでもヨーロッパ・ツアーの最後の方にはいい感じになってきて、イギリス・ツアーが終わる頃には最高の気分だった。みんなが楽しんで、曲も十分用意でき、神経質になる必要もなかった」。マッカートニーはまた、ビートルズ再結成というその時の噂話を否定したが、将来的な含みは残していた。「ビートルズのメンバーとしてやってきたことに誇りを持っている。とても素晴らしい経験だった。街で会う人みんなが口々に"君のやってきたことで多くの人たちが幸せになった"と言ってくれる。僕自身もそう思うし、そう思うことがセンチメンタルなことだとは思わない」。
Translation by Smokva Tokyo

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