ザ・ローリング・ストーンズが語る、ブルーズへの回帰

「"俺たちはロック・バンドです"なんて言うとステージに立たせてもらえない時代だった」とジャガーは振り返る。「だから"純粋なブルーズ・バンドです"と言ってライヴに出ていたんだ。だけどリハーサルでは、リッチー・ヴァレンスやバディ・ホリーとか何でもやり放題だった」

バンドのこのようなスタイルは、ブルーズのカヴァーにも表れている。64年にマディ・ウォーターズの『恋をしようよ』をカヴァーした時は、オリジナル曲をボ・ディドリー・スタイルの軽快なノリでプレイした。この斬新な取り合わせは、後のガレージ・ロックにもつながるものがある。『リトル・レッド・ルースター』のギター・リフもオリジナルに忠実ではなく、マディ・ウォーターズの『マニッシュ・ボーイ』に近いスタイルや、63年のサム・クックのソウルフルなヴァージョンを採り入れている。エリック・クラプトンは、71年の『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』に参加した際、ウルフが正確なオリジナル・ヴァージョンをクラプトンに伝えるのに苦労したことを覚えている。「自分が思っているようにはいかないもんさ」とウルフは彼に言ったという。

2016年、ジャガーはついにバンドの新たな作品のベールを剥いだ。「ブルーズは、ほんの少しずつ変化している。エルモア・ジェイムスはロバート・ジョンソンのフレーズを自分流にアレンジし、マディ・ウォーターズもそう。みんな先人のやり方を自分なりにアレンジしていくんだ。俺たちも、彼らの作品を大きく変えたのではなく、ストーンズ流に自然な解釈をしただけなんだ」とジャガーは語る。

2015年12月、ローリング・ストーンズは西ロンドンにあるマーク・ノップラー所有のブリティッシュ・グローヴ・スタジオに集結し、まずはオリジナル曲の制作に取りかかった。ジャガーはそれらの曲の仕上がりにピンとこなかった。「このアルバムでは、"いかにもストーンズらしい"というものや、これまで聴かせたことのないものまで、ストーンズのいろいろな面を見せたかった」とジャガーは言う。

ノップラーのブリティッシュ・グローヴ・スタジオは高い天井とブロンドに輝くウッドフロアのゴージャスなスタジオで、ヴィンテージから最新機器まで何でも揃っていた。ストーンズにとっても、こんなスタジオでのレコーディングは初めてだった。「ストーンズとして初めて使うスタジオでのレコーディングはこれまでも経験している。正式オープン前のスタジオを使ったこともある」とリチャーズは言い、ロニー・ウッドにウォーミングアップ用の曲として、リトル・ウォルターの暗く沈んだB面曲『ブルー・アンド・ロンサム』を練習してくるように伝えた。この指示は、スタジオ入りするかなり前にファクスで届いたことをウッドは覚えている。

ブリティッシュ・グローヴでの初日を終える頃までにリチャーズは、スタジオ入りする前の自らの予感が的中すると感じていた。「あのスタジオが俺に闘いを挑んでくるんだ。バンドへの挑戦だな。どんな音を出しても響いてこなかった」。そこでリチャーズは『ブルー・アンド・ロンサム』をやってみることを提案した。ジャガーが曲のキーに合ったブルーズハープを取り出し、バンドは軽く2テイク流した。「突然スタジオが俺たちに屈服した気がした。何かが起きたんだ。響きが変わり、急にいい音が出るようになったんだ」とリチャーズは振り返る。

結局、この2テイクの内の片方がアルバムに採用された。このテイクでは珍しくウッドがリードギターを弾き、リチャーズは大きく陰鬱なコードを奏でた。ワッツは抑えめながら堂々としたオリジナル曲のドラムを再現し、ジャガーはいつになく控えめなヴォーカルで「ベイビー、どうか俺のところへ戻ってきてくれ」と歌い、合間にブルーズハープを聴かせた。歌い終えたジャガーが「もっとカヴァー曲をやろう」と言って他のメンバーを驚かせた。ジャガーによると、ずっと以前からストーンズによるブルーズのカヴァー・アルバムを考えていたという。その晩、ジャガーは自身のMP3のコレクションからいくつかの候補曲をピックアップし、翌日スタジオへ持ち込んだ。

Translation by Smokva Tokyo

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