ザ・ローリング・ストーンズが語る、ブルーズへの回帰

By BRIAN HIATT 2017/月号 P20〜25 |
1970年のザ・ローリング・ストーンズ( Gijsbert Hanekroot/Redferns)
1962年にロンドンで結成、今なお第一線で活動を続けているザ・ローリング・ストーンズ。その歴史は50年以上。まさにストーンズこそが、ロックンロールを創ってきたと言っても過言ではない。マディ・ウォーターズの楽曲からバンド名をとった彼ら、2016年12月2日に発表した新作『ブルー&ロンサム』は、初心に戻ったかのようなブルーズ・アルバムだった。

約11年ぶりのスタジオ・アルバム『ブルー&ロンサム』をリリースしたザ・ローリング・ストーンズ。このインタヴューでは彼らのルーツを辿りながら、未来へ向かうバンドの姿を浮き彫りにしていく。

1965年9月、オーディエンスで埋まったダブリンの劇場。カジュアルなジャケットに身を包んだチャーリー・ワッツがマイクへ歩み寄り、バンドの"お気に入りの一曲"を紹介する。24歳のドラマーがシンプルなドラムセットへ戻ると、"ダ・ダー・ダ・ダン"というキース・リチャーズのリフにブライアン・ジョーンズの尖ったスライド・ギターが絡む。ハウリン・ウルフの『リトル・レッド・ルースター』だ。アイルランドのティーンエイジャーの少女たちが、ギター・サウンドで盛り上がるチェス・レコードの名曲の数々に「これこそ私のお気に入り」とばかりに1000人それぞれが全力で金切り声をあげた。その後、ライヴの盛り上がりと共に暴徒化したオーディエンスがステージに殺到し、ストーンズはコンサートを中止せざるを得なくなる。この時代の典型的なパターンだ。

その10カ月前、バンドはこの12小節のシカゴ・ブルーズを何とか全英シングルチャートのナンバー1に押し上げた。北米では、歌詞の"ふらつくオンドリ"が何か別のものを暗示するのではないかと疑われ、ラジオ局がオンエアを拒否した。『リトル・レッド・ルースター』は、全英ナンバー1を獲得した唯一のトラディショナル・ブルーズだろう。「気が変になりそうだったよ」。それから50年後の10月も終わりに近づくある日のマンハッタンで、ミック・ジャガーがその頃の偉業とオーディエンスの金切り声を振り返った。「そう。クレイジーだった。あの頃の俺たちは何でもできたし、いつでもナンバー1になれた。それが問題だったんだ」と笑う。青い繊細な模様の入ったフロントボタンの白シャツにスリムな黒いパンツを履いたジャガー。チェックのパンツを履いてアイルランドのステージに立っていた51年前と、ウエストサイズは変わっていないのだろう。見た目だけは年相応だが、中身はあの頃のままだ。

ストーンズ初期にレコーディングされた他のブルーズ曲同様、『リトル・レッド・ルースター』も「お気に入りだから選んだ」とジャガーは明かす。「俺たちはまだ子供だった。子供から大人への転換期だったんだ。ザ・ビートルズも似たようなものさ。彼らは好きな曲の話をしていた。だいたいいつもソウル・ミュージックの話だったな」。ストーンズの音楽はビートルズのそれよりも自分たちのルーツに深く根ざし、影響を受けた音楽に対する敬意を表現していた。65年5月ストーンズは、アメリカのティーン向けテレビ番組『Shindig!』にハウリン・ウルフ本人を引っ張り出した。身長191cm、体重125kgのスーツに身を包んだ55歳の大男がステージに上り、ストーンズの前で『ハウ・メニー・モア・イヤーズ』を唸ると、ウルフには場違いな黄色い声援が飛んだ。「俺たちがリリースしたブルーズ曲は、ファンたちにしてみれば、ある意味ポップ・ミュージックだったんだ。俺たちが今ケンドリック・ラマーをやるようなものさ。俺に言わせれば、ジャンルの枠を取り払ってしまえば全部がポップ・ミュージックさ」


ストーンズは1965年、アメリカのティーン向けテレビ番組『Shindig!』にハウリン・ウルフを出演させた(Michael Ochs Archives/Getty Images)
Translation by Smokva Tokyo

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