連載|CRO/COOL ROCKIN' OFFICER|向本 護(太衛工業株式会社 代表取締役)

By Masahiko Ono 2017/01月号 P108〜109 |
ローリングストーン日本版2017年WINTER/向本 護 太衛工業株式会社 代表取締役 (Photograph by Kazuhiko Tawara)
かつて大観衆のステージに立つことに憧れたロックキッズたちは、その夢を独自に醸成させ、今もミュージシャンたり続けている。そんな男たちの、過去と、今。そして、未来。

連載|CRO|向本 護
太衛工業株式会社 代表取締役 〜COOL ROCKIN’ OFFICER〜

―ご自身が最初に音楽に触れ合うことになったきっかけから教えてください。

小学校の時に、友達の家でX JAPANを聴いたのが最初です。92年のことでした。"何や、この音楽は"と衝撃を受けて、そこから自然とメンバーの音楽ルーツを探るようになりました。KISSやレッド・ツェッペリン、ディープ・パープルといったアーティストを知ったのもこの時です。それからロックにのめり込むようになっていきました。

―向本さんはバンド活動もされていますが、聴き手から演奏者になるのはどんなきっかけで?


中学生の時です。本当はドラムがやりたかったんですが、あのセットを揃えるのは中学生では金銭的に無理で(笑)。それで、次にやってみたかったベースを始めました。ある日、ベースを練習していたら、地元の先輩に"お前、弾き方がギターみたいだからギター弾いてみたら?"と言われて。弾いてみたら、ギタリストが最初にぶつかる難関の"F"のコードをいきなり難なく押さえることができたんです。それでギターを始めることになりました。

―ギターの才能があったということですね。


天才ではないと思いますが、どんなこともある程度こなせる器用さはありました。最低限のテクニックを神様が与えてくれていたというか。そこからは努力してもなかなかあかんかったけど。

―その後バンド活動を開始されていますね。


当時はバンドブームで猫も杓子もバンドマンだった頃です。BOØWYやセックス・ピストルズのコピーバンドなどが多かったので、誰もやっていない曲をやりたいなと思っていて。いろんな選択肢の中からLUNA SEAをコピーするバンドを始めたんです。当時はGLAYなどのヴィジュアル系バンドの人気がすごかったので、ライヴをやれば必ず客が入る状態でした。初めての時も120人ぐらいの前で演りました。

―初めてのステージで! 緊張しませんでした?

全然しませんでしたね。当日、鴨川で寝ていてリハに遅刻したぐらいでしたから(笑)。10代の頃は、とにかく耳についたギターリフをコピーして、練習した成果をステージで披露して、とやっていました。20代に入ると、哲学が入ってきて。

―哲学?

ペンタトニックスケールとは何ぞやとか、コード展開とは何ぞやとか。学術的な音楽の理論ですね。現在、プロとして活躍されている湯田大道さんに3年ほど教わってジャズにハマっていったんですが、あまりにこれまで演奏してきたものと次元が違い過ぎていて、脳みそから煙が出てしまい、しばらく音楽活動を休むことにしました(笑)

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