ボウイとモリッシーの歴史的デュエットを振り返る:T・レックス『コズミック・ダンサー』

By ANDY GREENE
1991年ロサンゼルスで同じステージに立ったモリッシーとボウイ
1991年にロサンゼルスで行われたモリッシーのコンサートで同じステージに立ったボウイ。だが、その2年後、確執が生じる。

マンチェスターに暮らす気難しいティーンエイジャーだったモリッシーは、単調で、恐ろしくつまらない毎日から逃避させてくれる音楽界のヒーロー、デヴィッド・ボウイ、T・レックス、ニューヨーク・ドールズに夢中だった。1972年、モリッシーが初めて行ったコンサートはT・レックスだった。そしてその数ヵ月後、デヴィッド・ボウイが、『ジギー・スターダスト・ツアー』で街にやってきた。モリッシーはファンレターを渡すため、会場の外でデヴィッド・ボウイを待った。

2013年、モリッシーは回顧録に、こう記している。「黒のベンツから出てきた彼は、先人からのあらゆる知恵を使い、20センチくらいの歩幅で、ハイヒールを引きずりながら歩いていた。彼はシャープに微笑むと、冴えない少年が手渡したファンレターを受け取った。鼓動高鳴るハートは、学校の制服よりもずっと輝いていた。かくして僕は、この不可解なまでに開放的な改革者の手に触れたのだ。」

その日、ボウイにファンレターを渡した13歳の少年が、20年後にロサンゼルスのザ・フォーラムでコンサートを開いただけでなく、ボウイが彼にアンコールを求めステージに飛び入りし、T・レックスの『コズミック・ダンサー』のカヴァーを一緒に歌ってくれるとは、夢にも思わなかっただろう。「極度の疲労から悪あがきしてしまったが、ボウイは堂々としていた。僕の中にいる、登校前に『スターマン』を一回でも聴かないと学校に行けなかった12歳の僕が、信じられないような瞬間を経験した。でもその瞬間は夢ではなかった」と、モリッシーは回顧録に記している。撮影された記録はないが、観客が録音していた音源が残っていたことは幸運だ。ここに公開する。

3年後、モリッシーはボウイの『アウトサイド・ツアー』の前座を引き受けたが、観客の受けが悪く、初期段階で病気を理由に降板。しかしその2週間後には、自身の日本公演を行っている。この降板劇はボウイの頭から離れなかったようで、2006年にプロデューサーのトニー・ヴィスコンティが、『You’ve Lost That Lovin’ Feeling /ふられた気持ち』をモリッシーとのデュエット版で制作することを提案したが、ボウイは断っている。「この企画はイケると思ったんだが、ボウイはテコでも動かなかった」と、2014年にモリッシーが話している。「以前、僕はボウイを批判したけど、鼻垂れ中学生レベルの悪ふざけだったんだ。ボウイはわかってると思う。」

2013年にモリッシーが『The Last of the Famous International Playboys/ザ・ラスト・オブ・フェイマス・インターナショナル・プレイボーイズ』を再版した際、2人が写っている写真を使用したいと申し出たが、ボウイは許さなかった。ボウイは、ただの「中学生の悪ふざけ」とは思っていなかったようだ。この8月、モリッシーはコンサートで、今年他界した大スターとして、コメディアンのキャロライン・エイハーン、モハメド・アリ、プリンスの名前を挙げたが、ボウイについては言及しなかった。客観的に見れば、ボウイは今年の年初に亡くなっており、2人の間に気まずさがあったとしても、モリッシーがボウイを大スターだと認めていないとは考えにくい。となると、意図的なものかもしれない。こればかりは、モリッシーに聞いてみなければわからない。

1991年のモリッシーのロサンゼルス公演で、T・レックスの『コズミック・ダンサー』をカヴァーするデヴィッド・ボウイとモリッシーの音声はこちら
Translation by Kyoko Kawamae

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