ロックウェルが語る、マイケル・ジャクソンとの名曲『ウォッチング・ミー』制作秘話

By Jason Newman
パラノイド・ポップの定番『ウォッチング・ミー』を生み出したベリー・ゴーディの息子、ロックウェル。記事ではその制作秘話に迫る。
ロックウェルが、モータウン・レコードの創設者の息子としてのデビュー秘話、父との確執、1984年の大ヒットソング『ウォッチング・ミー』制作裏話、そしてマイケル・ジャクソンとの共演を語った。

1982年、ベリー・ゴーディはロサンゼルスの自宅にいた。するとそこに彼の18歳の息子ケネディ・ウィリアム・ゴーディが、モータウン・レコードの創設者である父にデモを持ってきた。彼がハリウッドのアパートの寝室で小さな4トラック・レコーダーを使って作成したポップ・ファンクだった。もちろんゴーディは、プロデューサーとして、ソングライターとして、またレーベルの社長として何百ものナンバーワン・ソングに関わっている。だからその曲がヒットするかどうかは聴けばわかる。しかし息子のデモを聴いたゴーディの反応は、感銘というには程遠いものだった。

「父は"うん、うん。悪くない出来だ"って感じのことを言ったんだ」とケネディ・ゴーディはローリングストーン誌の取材に答える。「"君はまだ若い。地道に曲を書き続けなさい。そうしたら、きっといい曲がかけるようになる"ってね。ショックだったよ」。

その1年後、ケネディ・ゴーディはロックウェルという名で、マイケル・ジャクソンと彼の兄ジャーメイン・ジャクソンをバックグラウンドボーカルに従え、『ウォッチング・ミー』を発表した。国内外でスマッシュヒットを記録し、30年以上経った今でもパラノイア・ロック・アンセム、そしてハロウィン・ミックスの鉄板ソングとして親しまれている名曲だ。

レコード業界の重鎮の息子ならば、ソングライターになるというのはある意味自然(悪く言えば安易)な選択だ。コネを使えばその実現もたやすい(と思われている)。しかし彼は親類を通さず、本名も隠してモータウン・レコードにデモを提出した。無名だった彼が身内びいき故に売れたという批判を避けるためだった。

「僕がモータウンと契約したと知った父はある日電話してきて、"どうやって契約したんだ?経緯は?何があった?"と訊いてきた」とロックウェルは回想する。「"よくわからない。僕の音楽が気に入ったってことでしょ"と答えたよ。父は怒っているようだった。実は今でもまだ、父が僕の契約についてどう思っていたかはわからないんだ」。

当時のことを振り返ってロックウェルは、もしそうすることで売れることができるとしても、ゴーディの名前を使おうと思ったことは一度もなく、「そういう風に考えたことはない」と語っている。「でも家族内の話題にしてほしいとは思っていた。モータウンはいつも家族だったからね。父は僕にアーティストとのやり取りや、彼らが互いに持っている愛や敬意について教えようとしてくれた。いつもアーティストと関わるのに忙しくて、子どもの僕と過ごす時間はあまりなかったんだ」。


ダイアナ・ロス、そして父ベリー・ゴーディとともに写るロックウェル(Courtesy of Rockwell)

ロックウェルは『ウォッチング・ミー』以前にも曲を書いていたが、彼いわく"中途半端の極み"だったという。彼は怒り、イライラしていた。彼はふと思いつき、ひざまずいて祈ることにした。「与えられるように神様に祈ったんだ」と彼は言う。「こう祈ったんだ。"神様、私に耳の肥えた音楽好きの感性を刺激し、チャートのトップに登り詰める曲を書くためのクリエイティビティを与えてください"とね。それ以来、すべてが順調に行き始めたんだ」。その後の2日間で、ロックウェルは自宅の寝室の床に座り『ウォッチング・ミー』を書いた。それも完成したレコーディングに使われているほとんどがファースト・テイクだ。
Translation by Yu Sekine

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