1991年のWWEサバイバー・シリーズはアメリカのプロレスをどう変えたのか

By Chris Illuminati
プロレス界と二人のレスラーのキャリアを変えた1991年WWEサバイバー・シリーズを振り返る

身体能力も高く、人々を引き付ける魅力を持ったこの二人組は、ミッドナイト・ロッカーズの名で売り出された。これはマイケルズの好きな曲が、イギリスのメタルバンドであるジューダス・プリーストの『ロッキン・アフター・ミッドナイト』だったことに起因する。ジャネッティとマイケルズは、タイガーストライプのタイトなシャツを身に着け、当時は主流でなかったハイペースなマッチスタイルで試合に臨んだ。

「やりすぎだとか、派手な大技が多すぎるとか非難されたこともあったよ」マイケルズは2005年に出版された自伝『ハートブレイク・アンド・トライアンフ‐ショーン・マイケルズ・ストーリー(原題)』の中で回想している。「けれど、リングの中で僕らが見せてきた筋書きの中で、全ては行われてきたものなんだよ。ただクレイジーな大技をしたいから、それをしていたわけではないんだ。」

身体能力や端正なルックスによって、マイケルズとジャネッティはすぐさま成功をつかんだ。バディー・ローズ、ダグ・サマーズとの流血の死闘を経て、ついにAWA世界タッグ王座を獲得したのだ。大きな注目を集めた勝利によって、ヴィンス・マクマホンはマイケルズとジャネッティに対し所属オファーを出す。AWAのベルトを手中に収めたまま、マクマホンとの契約にサインしたのだ。

ロッカーズの二人は、1987年WWE入りしたものの、わずか数週間後、バーでの乱闘事件により解雇されてしまった。マイケルズによると、噂やバックステージでの妬みによって、事件が大きなものとして騒がれたのだという。

コンビ名を「ロッカーズ」として改めた後も、マイケルズとジャネッティはすぐさま成功を手にした。ハート・ファウンデーション(ブレット・ハートを中心としたタッグチーム)からタッグタイトルを奪取したのだ。けれど、このタイトルはWWEの公式記録には認定されていない。ジム・ナイドハートは自身の契約の再交渉にあたって、ベルトをハート・ファウンデーションに返還したため、ロッカーズの勝利がテレビ放映されることは永久になくなった。

ジャネッティは才能ある選手である一方、マイケルズは将来的に素晴らしい素質を持つ選手であることは、マクマホンと側近たちにとっては明らかなものだった。こういった流れの中で、マイケルズとジャネッティの意見の相違が発生した。ジャネッティとマネジメントとの間に、ギャラと酔った状態で戦った初戦に関する誤解が生まれたことによって、タッグチームは、契約交渉の際に問題を抱えることとなったと、マイケルズは自伝で述べている。ジャネッティはWCWに対し、チームにギャランティアップでの契約を申し入れた。マイケルズはWCWの上層部にオファーについての確認をとり、とジャネッティの契約条件が行き過ぎているともクレームしたのだ。

ジャネッティは数多くのインタヴューの中で「WWFを去るよう仕向けたのはマイケルズだ」と述べた。そして、その話題が広まることに、ビンス・マクマホンも肯定的だった。マイケルズはマクマホンに会い、全てがジャネッティの思いつきであり、「WWFから意図的に去ろうとはしていない」と訴えた。ロッカーズは団体にとどまったが、マクマホンはペアを解消させ、マイケルズをジャネットと敵対させるという決断を下した。

別々の道を歩んだ二人

ミシガン州デトロイトにあるジョー・ルイス・アリーナは、1991年のサバイバー・シリーズが開催された会場だ。感謝祭の前夜に開催されたこの大会のメインイベントは、ハルク・ホーガンのWWF世界ヘビー級王座防衛戦だった。サバイバー・シリーズの対戦カード上、この試合は史上初のシングルマッチだった。

最終的に、ビンス・マクマホンは、リング上でのキャラウェイの細部にポテンシャルを見抜いていたものの、今回の対戦相手としての起用はハルク・ホーガンが主演・エグゼクティブプロデューサーを務めた映画『マイホーム・コマンドー』に、悪役ハッチとしてカメオ出演したことの影響が大きい。劇中のキャラウェイのコスチュームは、まさに旧西部の葬儀人に実によく似たものだったのだ。
Translation by Ayako Hayashi

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