没後25年、フレディ・マーキュリー列伝:知られざる10の真実

By JORDAN RUNTAGH
(Photo by Dave Hogan/Hulton Archive/Getty Images)

いずれにせよ、マーキュリーは亡くなるまでこのコラボレーションの失敗を引きずった。「マイケルと共作した曲でジャクソンズが引き継いだものもあって、フレディは敗れたわけだから、やっぱりちょっと動揺していた」と、『Is This the Real Life』の中でメイは話している。デュエット版の『生命の証』は、プロデューサーのウィリアム・オービットによって生まれ変わり、2014年に発表された『クイーン・フォーエヴァー』に収録されている。他の2作品は未発表のままだ。

9.ツアー中も猫に電話、お気に入りのデライラには曲も



控えめに言っても、フレディ・マーキュリーは猫派だ。亡くなるまでずっと何匹ものフワフワした生き物と一緒に暮らしていた。そして離れて過ごすのはツライことだったようだ。クイーンとして世界ツアーに出ている間も、常習的に電話し、自宅に残した愛猫たちと話していた。

「ホテルに着くと電話をするんだけど、フレディは猫たちと話したがった。(親友の)メアリー(・オースティン)がトムとジェリーを抱え、代わる代わる受話器に近付けてフレディと話をさせていた。これは何年にもわたり、フレディの自宅に住んでいた猫科の同居人に対し続けられたことだ」と、ピーター・フリーストーンは回顧録『ミスター・マーキュリー(Mr. Mercury)』の中で語っている。

マーキュリーの最後の恋人、ジム・ハットンが優雅なガーデン・ロッジの邸宅に引っ越して来るまで、猫科の同居人は、オスカー、ティファニー、ゴリアテ、ミコ、ロミオ、デライラと、6匹まで増えていった。「フレディはまるで我が子のように猫を可愛がっていた。フレディは家を留守にしていても、猫たちのことをずっと気にしていた。フレディがいない時に猫たちに何かあったら、神様が助けてくれる。猫たちは日中、家の中や庭を走り回り、夕方になると捕まえに行って家の中に入れるんだ」と、著書『マーキュリーと私(Mercury and Me)』の中で、ハットンは述べている。

ハットンは、ゴリアテがいなくなってしまった時のことを「フレディは半狂乱になって、深い絶望に沈み、来客用の寝室の窓に向かって日本の火鉢を投げつけた」と、記している。マーキュリーは発見した人に1000ポンド(約14万円)の懸賞金を用意したが、幸いにも、それを支払う前にゴリアテは見つかった。

「フレディは大喜びで、5分間くらい抱きしめたり、撫でたり、ゴリアテに夢中だった。そして母親のように、ガーデン・ロッジから家出した小さなゴリアテに怒鳴ったり叫んだりして怒っていた。黒っぽい毛色のゴリアテは丸くなって座り、フレディの激高をおとなしく聞いていたが、喉をゴロゴロ鳴らしていた」と、ハットンは述べている。

マーキュリー家の「リトル・プリンセス」とハットンが呼んでいるデライラには特等席が用意されていた。「ガーデン・ロッジの猫の中で、デライラが一番のお気に入りで、特に可愛がっていたし、よく撫でていた。フレディが夜ベッドに連れて行くのはデライラだった。夜中、徘徊に出るまで、デライラは足元で寝ていた」と、記している。

マーキュリーは『デライラ』という曲で、そのサビ猫への愛を永遠に残る形にした。他のクイーンのメンバーはその曲に心を奪われることがなかったが、しぶしぶ同意した。メイは猫の声を出すため『トーク・ボックス』(トーキング・モジュレーター)を使うことに強く抵抗したが、結局使う羽目になった。「最終的に折れて、使うことになった」と、1991年にメイは、米雑誌「ギター・ワールド」に話している。「トーキング・モジュレーターを運び入れてきたから、僕は『ニャーっていう音を出すにはそれしかない』って言ったんだ」。この曲は、マーキュリーが亡くなる前にリリースしたクイーン最後のアルバム、『イニュエンドウ』に収録されている。この頃のマーキュリーの病状を考えると「泣きそうな時も君が笑顔にしてくれる/君が希望を運んでくれる、君が僕を笑わせてくれる―うれしいよ」という歌詞は、特に心に響く。
Translation by Kyoko Kawamae

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