没後25年、フレディ・マーキュリー列伝:知られざる10の真実

By JORDAN RUNTAGH
(Photo by Dave Hogan/Hulton Archive/Getty Images)

8.マイケル・ジャクソンとのレコーディングを『キング・オブ・ポップ』のペットだったラマが妨害



マーキュリーは、クイーン結成前、ジャクソン5の『I Want You Back/帰ってほしいの』をハードロック好きのルームメイトに熱く語っていた頃から、マイケル・ジャクソンのファンだった。「フレディは、マイケルに対して畏敬の念を抱いていた」と、マーキュリーの付き人、ピーター・フリーストーンはブレークに話した。1982年に、マイケルが世界的大ヒット曲、『スリラー』で音楽的に、そして商業的に一段高いところへ登った時、キング・オブ・ポップと、クイーンの看板スターが共演するにふさわしい、完璧なタイミングであるかのように見えた。

マーキュリーは手始めに3つのデモ曲を制作するため、1983年春にカリフォルニアのエンシノにあるジャクソンの自宅スタジオを訪れた。『生命の証(There Must Be More To Life Than This)』は、そもそも1982年に発表されたクイーンのアルバム『ホット・スペース』の制作中に思い付いた曲だが歌詞が完成しておらず、マーキュリーがジャクソンにアドリブで考えるよう催促する場面も、セッションを記録したテープに残されている。『ステイト・オブ・ショック(State of Shock)』はジャクソンが大部分を書いているが、『ヴィクトリー(Victory)』はこの2人の合作である。

違法に録音されたデモ曲からは、大変な格闘があったことがわかる。しかし最終的にこの企画は日の目を見ないまま終わった。『生命の証』は作り変えられ、1985年のマーキュリーのソロアルバム『ミスター・バッド・ガイ(Mr. Bad Guy)』に収録された。また、『ステイト・オブ・ショック』は、ミック・ジャガーとのコラボレーションで、1984年にジャクソンズからシングル曲として発表されている。最後の『Victory』は、お蔵入りとなっている。

この組み合わせがなぜうまくいかなかったのか、マーキュリーは正確に説明しており、大人の対応をしたと考えられている。1987年にマーキュリーは「曲をきちんとと完成させるほど長く、同じ国に滞在することができなかったんだ」と述べている。しかし同時期の別のインタビューでは、キング・オブ・ポップに関して否定的な感想が伝えられた。「マイケルは自分の小さな世界に関わるだけの生活を送っている。一緒にナイトクラブに出掛けたりして、前はとても楽しかっんだけど、今は要塞に引き籠っているよ。悲しいね」。

クイーンのマネージャー、ジム・ビーチは、よく取りざたされていることではあるが、ジャクソンの特異性が、スタジオでマーキュリーを苛立たせたと話している。「フレディから突然電話が掛かってきて、『迎えに来てくれないか?スタジオから出して欲しい』って言うんだ。『どうしたの?』って尋ねたら、『ラマと一緒にレコーディングしてるんだ。マイケルがスタジオに毎日ペットのラマを連れてくるんだけど、自分はラマとレコーディングするのにまったく慣れないんだ。もうたくさんだよ、退散する』って言ったんだ」と、ビーチは『The Great Pretender』の中で語った。

一方でジャクソンも、マーキュリーの奇癖に困っていたようだ。英タブロイド紙ザ・サンにマーキュリーの付き人が語った話によると、マーキュリーが100ドル札を丸めて鼻からコカインを吸引するたびに、セッションが中止されたという。
Translation by Kyoko Kawamae

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