没後25年、フレディ・マーキュリー列伝:知られざる10の真実

By JORDAN RUNTAGH
(Photo by Dave Hogan/Hulton Archive/Getty Images)

超有名バンドを馬鹿にしていたセックス・ピストルズは、クイーンのことは特に、華美でショービジネス的、技巧的とみなし、見下していた。とはいえ、これはお互い様だった。マーキュリーは粗削りなロック・スタイルを認めなかった。「フレディはパンクそのものを理解できないと言っていた。フレディにとって、セックス・ピストルズは音楽ではなかった」と、EMIの役員はブレークに対して語った。

1977年、セックス・ピストルズがデビュー・アルバムを録音していたロンドンのウェセックス・スタジオを、クイーンも同時期に使っていたことがあった。「廊下でよくすれ違ったよ。ジョン・ライドンと話す機会もあったね。いつもとても礼儀正しかったよ」と、ブレークに対し、ジョンは話している。

しかしセックス・ピストルズのベーシストに対するロジャー・テイラーの評価は、少し厳しい。「シド(・ヴィシャス=悪意)はアホだった。彼はバカだったね」と、クイーンのドキュメンタリー番組『Days of Our Lives』の中でコメントした。忘れられない場面として、ヴィシャスがクイーンのスタジオに酔っぱらって入ってきて、マーキュリーに喧嘩を売り、「お前、バレエを披露して、大衆にウケたのか?」と、わめいたことを挙げた。当時マーキュリーが英音楽紙NMEのインタビューで、華やかに、そして自慢げに語った内容に対する当てつけだった。

マーキュリーがその場で喧嘩を買うことはなかった。「シドには、サイモン(シドの本名)・フェロシャス(=凶暴)とか、そんな呼び方してたよ。彼は本当に嫌がってた。『自分はどうことがしたいんだ?』って言ったんだ。でもシドは、わかってたんだ。ハッキリしていた。だから言ったんだ。『明日は別なことを考えているかもしれないんだから、今日鏡を見て正確に自分の立ち位置を確認するんだ』って。そんなことを言われることさえ、彼は嫌ってたね。クイーンは、その試練に生き残ったと思ってる」と、テレビのインタビューに答え、そう話している。

5.英ロイヤル・バレエ団との共演



セックス・ピストルズは知る由もなかったが、すぐにマーキュリーはバレエを披露するという公言を実現させた。1979年8月、ロイヤル・バレエ団のプリンシパル、ウェイン・イーグリングは、慈善公演に向けて、バレエ団と共演できる、特に‘体が柔らかい’有名スターを探していた。ケイト・ブッシュに断られ、イーグリングはマーキュリーに目を付けた。

当初のマーキュリーの反応は、好ましいものではなかったが(曰く「頭がおかしいんじゃないかと思った」)、偶然にもEMI会長のジョセフ・ロックウッド卿のロイヤル・バレエ団の理事長就任が重なり、2人が話し合った後でマーキュリーは出演の意思を固めていく。「フレディは、バレエにはそれなりの興味を持っていた。でもロックウッドがそれに火をつけたんだ。フレディはスケールの大きさに惹かれたんだ。相当な規模だった。フレディの演技はすべて勇壮だった、」と、クイーンのマネージャー、ジョン・レイドは、ドキュメンタリー映像『クイーン・フレディ・マーキュリー神話~華麗なる生涯~グレート・プリテンダー(The Great Pretender)』の中で話している。何もかもが上手く運んだ。

クイーンとしてのマーキュリーの運動能力は知られており、標準レベルに引き上げるため、厳しい訓練が待っていた。「バレエスタジオの手すりで練習させられるんだけど、脚のストレッチから、とにかく色んなこと、バレエ団の人たちが何年もかかってやってきたことを1週間でやらせようとしたんだ。人殺しさ。2日後には激痛に襲われたよ。体にそんな部位があるって知らなかった場所があちこちで痛むんだ。参ったよ」と、ロンドン・イヴニング・ニュースに対し、マーキュリーは語った。
Translation by Kyoko Kawamae

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