没後25年、フレディ・マーキュリー列伝:知られざる10の真実

By JORDAN RUNTAGH
(Photo by Dave Hogan/Hulton Archive/Getty Images)

3.デヴィッド・ボウイのステージを組み立てる。ボウイにヴィンテージ物のブーツを勧める

デヴィッド・ボウイとフレディ・マーキュリーは、1981年に『アンダー・プレッシャー』の合作で世界的ヒットを飛ばしたことで知られているが、2人はそれぞれが売れる前、60年代後半に知り合っていた。当時、ボウイの方が有名だったのだが、イーリング・アート・カレッジの昼食時間にライブをやって欲しいという申し入れを受けたのだ。マーキュリーはボウイのファンだったので、荷物運びを買って出た。ボウイは、一緒に机で簡易ステージを作ってほしいとマーキュリーに頼んだ。

それからまもなく、マーキュリーとロジャー・テイラーは、音楽だけでは収入が足りないので、ケンジントン・マーケットにヴィンテージ服飾店を開いた。テイラーは「エドワード調の服まで売ってたんだ。怪しい卸業者から絹のスカーフのバッグなんか仕入れてた。入荷すうとアイロンをかけて、パタパタはたいてた」とブレークに話す。ブライアン・メイは、2人の店の商品の品質について、褒められたものではなかったと思い出す。「フレッドは、そんな古着が入った袋をどっさり持ち込み、服を取り出して『見ろよ、この服、すごいだろ!これなら金になるよ!』って言うんだけど、『フレッド、そんなものただのボロキレだよ』って言ったんだ」。

マーキュリーとテイラーは、古着屋の経営には向いていなかった。マーケットの通路を隔てた向かい側で服飾店を経営していた、心優しいアラン・メイヤーが2人を雇うことになる。メイヤーはマーキュリーについて「どんな時も頭の回転が速く、とても礼儀正しかった」とBBCのドキュメンタリー番組『フレディーズ・ミリオンズ(Freddie’s Millions)』の中で語った。「フレディに対して文句をつける人はいなかったし、態度に問題もなかった。いつも遅刻していたが、別に大したことじゃなかった」。

メイヤーは、デヴィッド・ボウイの初期のマネージャーの知り合いで、将来の「スターマン」が、ある日店に来たと言う。「『スペース・ オディティ』がヒットしていたんだけど、お金がないって言うんだ。音楽業界の常だよ。『お金はいいから好きなの持って行って。出世払いでいいよ』って言ったんだ。そしたらフレディが、ボウイにブーツを履かせてた。だってフレディ・マーキュリーが店員だったから。文無しの人気スターだったデヴィッド・ボウイにブーツを謹呈したよ」と、『Is This The Real Life』の中で、メイヤーは話している。

4.後悔している?セックス・ピストルズの大ブレイクの原因を作ったマーキュリー



1976年12月1日。クイーンは、ビル・グランディが司会を務める夕方のトーク番組『トゥデイ(Today)』にニューアルバム『華麗なるレース』の宣伝のため出演する予定だった。しかしマーキュリーは(しかもなんと15年ぶりに)歯医者に行かねばならなくなり、クイーンが所属していたレーベル、EMIは、売り出し中のバンド、セックス・ピストルズを代わりに出演させた。何を考えたか、番組プロデューサーが本番前に酒を振舞ったため、物騒なパンクロックミュージシャンは殊更にやんちゃな言動をしてしまった。ピストルズのメンバーと同じくらい酔っぱらっていた挑発的なグランディにけしかけられ、スティーヴ・ジョーンズとジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)の2人は、何度も、露骨に性的な言葉、つまり決してテレビでは口にしてはならない『ファック』などを繰り返した。この番組は大ロンドン地区しか放送されなかったが、すぐにマスコミが攻撃、セックス・ピストルズは全国的な知名度を得ることになる。英デイリー・ミラー紙の1面見出しには『卑猥で乱暴!』と大きく書かれ、他の多くのタブロイド紙もこれにならった。伝え聞くところでは、視聴者の一人、怒り狂ったトラックの運転手はテレビを叩き壊したという。ロンドン市議会の保守派議員は、セックス・ピストルズのことを「吐き気をもよおす存在」そして「人類の対義語」と表現した。間近に迫った『アナーキー・ツアー』は次々キャンセルされ、抗議運動も起きたが、マスコミによる調査において、人気はどんどん上がっていった。
Translation by Kyoko Kawamae

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