没後25年、フレディ・マーキュリー列伝:知られざる10の真実

By JORDAN RUNTAGH
(Photo by Dave Hogan/Hulton Archive/Getty Images)

このビデオが撮影される数週間前、マーキュリーはスイスのモントルーに行っている。悪化する病と闘いながら、力の限り多く曲を残したかったからだ。この収録は、マーキュリーが望む‘日常’を取り戻すために必要だった。「あの時、フレディは言ったんだ『曲を書いてくれ。もう長くない。歌詞を書き続けてくれ。僕に与え続けてくれ。僕は歌う。その後は好きなようにしていい。曲を仕上げてくれ』って」と、メイは『Days of Our Lives』の中で語った。

プロデューサーのデイヴ・リチャーズは、この収録の緊迫感について言及している。楽器のチューニングに何時間も悩むような猶予は、最早なかった。「収録する間も、刻々と死に近づいていた。『これを仕上げるまで待てないから歌わせてくれ。ドラムマシンがリズムをくれれば、すぐに終わらせられる』と言ったんだ。もうすぐ死ぬと彼はわかっていた」。

メイがマーキュリーのために書いた、スローテンポながら激しい、壮大な曲『マザー・ラヴ(Mother Love)』を、マーキュリーは普段通りたくましい声で歌い上げた。英テレグラフ紙に対し、メイは「どこからそんなパワーが湧いてきたのかわからない。たぶんウォッカだったと思う。気分が乗ってきて、軽くウォームアップをすると、『一杯くれ』って氷のように冷たいウォッカを一気に飲んでた。銘柄はストリチナヤだったよ。そして言うんだ、『よし、録ろう』って」と話した。立ち姿勢を維持することができず、杖をついて歩きながら、コントロール室で『マザー・ラヴ』の録音を行った。

「最後から2番目のパートまで漕ぎ着けた時に、フレディが言ったんだ。『ちょっと体調が良くない。今日はもうこれで終わりにしたい。次の収録の時に、この曲を仕上げる』って。でももちろん、その後彼がスタジオに戻ることはなかった」。収録されているこの曲の最後のパートは、メイが歌っている。



その後、マーキュリーはガーデン・ロッジに戻り、ジム・ハットンとメアリー・オースティンがマーキュリーを看病する。かつて恋人だったオースティンとは、1970年に出会っている。2人は7年同棲していたが、その後は住居を別に持ちながら、暮らしを支えあっていた。マーキュリーはインタビューの中で、たびたびオースティンのことを‘親友’と述べており、ジャーナリストのデヴィッド・ウィグは、マーキュリーが、『全財産をメアリーと猫たちに譲る』と遺言していたことを明らかにしている。クイーン初期の優美な代表曲『ラヴ・オブ・マイ・ライフ(Love Of My Life)』は、オースティンへの思いを歌ったものだ。

オースティンは、自らのソウルメイトの炎が消えていくのを見守った。「限界に達したんでしょう。レコーディングできなくなったら、それが生きる力の尽きた時。もう終わりだと思った」と、オースティンは『The Great Pretender』の中で話している。「彼の人生と喜びは音楽を作ることだったから。音楽が作れないのなら、自分の状況に向き合うだけの強さが、彼にはもう残っていないと思った」と、語った。

そしてその時は来た。マーキュリーは急いで死ぬ準備をした。「日曜日の昼食後、突然『君が僕をどこに埋葬すべきか、きちんと決めてあるんだ。でも君だけにしか言えない。誰にも掘り起こされたくない。静かに休みたいんだ』と、フレディは私に言ったの」。

エイズ合併症による気管支肺炎で、1991年11月24日、マーキュリーは亡くなった。ロンドン西部のケンサル・グリーン墓地で火葬された。遺灰は骨壺に入れられ、オースティンは寝室に2年間預かっていたが、マーキュリーが希望した場所にそれを移した。「普段からしていること以外の行動をして、誰かに疑われたくなかったの。エステに行くと言ったわ。そう信じさせなくてはならなかった。そのタイミングを見つけるのがとても難しかった」と、オースティンは2013年に英デイリー・メール紙に語った。「骨壺を持って、家をコッソリと出たの。何もない、誰からも怪しまれないような日を狙ったわ。内部通報が怖かったから。スタッフが裏切るなんてありえないけど、フレディの遺言なんだから。彼が埋葬される場所は、誰にも知られてはいけないの」。

どうもマーキュリーの両親でさえ、その場所を知らないようだが、墓参りをしたいファンを止めることはできない。マーキュリーの生まれ故郷、ザンジバルに埋葬されていると憶測する者もあれば、マーキュリーの自宅庭の桜の木の下に埋められていると考える者もいる。

2013年、この謎が解明されたように思われた。マーキュリーの本名と誕生日が刻まれた墓碑がケンサル・グリーン墓地で発見されたのだ。『ファルーク・バルサラを偲ぶ/1946年9月5日-1991年11月24日』と書かれており、さらにフランス語で『Pour Etre Toujours Pres De Toi Avec Tout Mon Amour – M(私のすべての愛と共に、いつでもあなたのそばに-M)」と記されている。Mというのは、メアリー・オースティンのことではないかと、巷では言われた。

オースティンは「フレディは、本当にあの墓地にはいません」と、この説を否定している。発見された墓誌は撤去されてしまった。今も、マーキュリーの埋葬地はわかっていない。


Translation by Kyoko Kawamae

RECOMMENDED

TREND