没後25年、フレディ・マーキュリー列伝:知られざる10の真実

By JORDAN RUNTAGH
(Photo by Dave Hogan/Hulton Archive/Getty Images)
故フレディ・マーキュリーがダイアナ妃をお忍びでゲイバーに連れて行ったことから、墓碑の所在地まで、伝説のヴォーカリストの人生の知られざる横顔を紹介する。

『Lover of life, singer of songs(命あることを喜び、歌い続けた歌手)』。

クイーンのメンバー、ブライアン・メイは、複雑な人物として知られるフレディ・マーキュリーを、このシンプルな追悼の言葉でうまく表現した。「彼は精一杯生き抜いた。僕にとって、とにかく、彼は寛大で、親切で、そして時々、短気だった。でも大切にしていたこと、つまり音楽を作ることに、本当に献身的だったんだ」と、メイは英BBC放送のドキュメンタリー番組の中で振り返った。

英保護領ザンジバル生まれのフレディの本名は、ファルーク・バルサラ。その並外れた才能は、派手さと躍動感で示されることとなる。その本質が、大ヒットしたクイーンの楽曲や、歴史に残るコンサートを生み出した。その生涯において、4オクターブの声域は(フレディの声の複雑さと荘厳さを解明しようと科学者が研究している)、ロックシンガーの歌唱水準を引き上げた。そして死んでもなお、フレディは、数百万人のエイズ患者に対し、歌声を届けた。

フレディの逝去から25年、彼のさまざまな偉業を振り返り、まだあまり知られていない話をここにまとめた。

1.クイーン結成前、ロネッツやダスティ・スプリングフィールドの曲をカバーしたソロ・シングルを発売。グラムロック界のスター、ゲイリー・グリッターに皮肉も



クイーンとして活動する前、マーキュリーはクイーンの他の2人とバンドを組み、非常に不躾なレコード盤を発売した。1973年の年明け、バンドを結成したばかりの頃、当時デヴィッド・ボウイやビートルズが使用していた、ロンドンにある最新鋭のトライデント・スタジオでデビュー・アルバムを制作していた。そのような輝かしい足掛かりも実は、レコーディングを深夜に行うという許可のもと(ほとんどのレコーディングは午前3時から7時の間)、実現したものだった。「『ダークタイム』って呼んでたね。録音エンジニアがお気に入りのバンドのレコードを作ってあげるか、下っ端がオペレーターをさせられてた」と、プロデューサーのジョン・アンソニーは、音楽グループ伝記作家のマーク・ブレーク著『Is This the Real Life??The Untold Story of Queen(仮題:これは現実か?クイーン秘話)』の中で述べている。

ある晩、スタジオが空くまで待機していると、マーキュリーにトライデント・スタジオのエンジニア、ロビン・ジェフリー・ケーブルが近寄ってきた。ケーブルは、録音プロデューサーのフィル・スペクターが考案した『ウォール・オブ・サウンド』を再構築しようとしていた。そのプロジェクトにマーキュリーの声は理想的だった。マーキュリーは演奏者としてブライアン・メイとロジャー・テイラーの名を挙げ、3人はロネッツの『アイ・キャン・ヒア・ザ・ミュージック(I Can Hear The Music)』(ビーチボーイズのカバー曲がヒットしたため当時流行していた)と、ダスティン・スプリングフィールドが歌ってヒットした、キャロル・キングとジェリー・ゴフィンの曲『ゴーイング・バック(Goin’ Back)』をカバーした。
Translation by Kyoko Kawamae

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