新生ロマンポルノ:行定勲監督が描いた日常に散らばるセックス「君、脱げんの?」

By RollingStone Japan 編集部
『ジムノペディに乱れる』:行定勲監督と芦那すみれが挑んだ不器用な大人の愛。(C) 2016 日活
『ジムノペディに乱れる』:行定勲監督と芦那すみれが挑んだ不器用な大人の愛。

『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004)などで知られるラブストーリーの名手・行定勲監督が、板尾創路演じる自暴自棄な映画監督を主人公に、切なく不器用な大人の愛を官能的に描いた『ジムノペディに乱れる』 。ヒロインに抜擢した透明感あふれる気鋭女優・芦那すみれとともに、行定監督が自身初となる日活ロマンポルノを語る。

—主人公はやさぐれた映画監督ですが、なぜこの設定を選んだのですか?

行定監督:この映画の主人公は、映画監督じゃないとダメだったと思うんですよ。社会的な仕事をしている人だと、こうはならないんですよね。20~30年くらい前、僕が助監督をやっていた頃の映画監督たちって、ふらっとどこかにいなくなっちゃうんですよ。携帯もない時代だから、演出部から制作部から美術部から、みんないつでも監督のことを探していた。もっと言えば、愛人の女から、女優から、みんな監督を探していた。だから助監督が、「おれ、行きそうなところ探してきます!」とか言って探しに行くわけです。当時の監督たちの武勇伝ですね。

—かつての映画監督たちのやんちゃな姿ですね。

行定監督:でも現代になって、監督たちも女優たちも型破りなものは抑制されていって、決まりきったものになってきた。すると監督たちは、例えば一番手頃なところで映画学校の生徒とかに手を出したりする。大学教授とかが生徒に手を出したりすると大問題になるけど、映画監督だとなぜか許されるという不思議な幻想(笑)。映画監督って金も持ってないし、生徒に手を出した挙句にメシをおごらせたりするけど、ただ節操がないわけでないんですよ。普通の社会人を主人公にすると、森田芳光監督の『愛と平成の色男』みたいにスーパー企業マンみたいになってしまって、「なんでこいつこんなにモテ男なの?」って違和感になっちゃうけど、映画監督だとなぜか成立するという幻想です。


(C) 2016 日活

たとえば飲み会。タバコをふかしながらものすごく考えてるような顔して、みんなが盛り上がってるところに、「それはさ、ちょっと違うと思うな」とか言って突然席を立ってどこか行っちゃう。そうすると、女優の卵とかが「監督、どこいったんだろう? ちょっと見てきます」とか言って探しに行く。そいつは外で月とか見ながらただタバコ吸ってるだけなんだけど、「半月ですね」「そうだね」「キレイだね」「この後どうしてんの?」みたいな(笑)。こういう映画監督、たくさん知ってます。世界中にいます。(笑)。そういう監督たちの合わせ技が、この映画の主人公です。
Interview by Sahoko Yamazaki (RSJ)

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