レオン・ラッセル逝去、享年74歳

「ジェリー・リー・ルイスからのオファーを受けた時、ちょうどタルサ大学の入学試験中で、1日12時間の試験の3日目だったんだ。"興味もない多くのことを勉強するなんて時間の無駄だな"とすぐさま思ったんだ」とラッセルは、ローリングストーン誌の1970年のインタビューで語っている。「予備将校訓練課程(ROTC)に入ろうとしていたんだが、すぐさま“これは俺のやりたいことではない”と感じた。ロックンロールを演奏して各地を旅しながらあちこちのレストランで食事できるチャンスを逃す手はないと思い、即決したよ」。

17歳のラッセルは、タルサからロサンゼルスへ移ってまもなく頭角を現し、街のあちこちのナイトクラブから引っ張りだこになった。この時期ラッセルは、ザ・バーズ、ハーブ・アルパート、フィル・スペクターなどのアーティストと共演している。スペクター率いるザ・レッキング・クルーのメンバーとしてラッセルは、ザ・ロネッツの『あたしのベビー(原題:Be My Baby)』、アイク&ティナ・ターナーの『リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ(原題:River Deep – Mountain High)』などの曲でキーボードを演奏していた。

「マスター・オブ・スペース&タイム」の愛称が付けられたラッセルは、セッション・ミュージシャンとして活躍する傍ら、自らの音楽のレコーディングも始めるようになった。1968年、セッション・ミュージシャン仲間のマーク・ベノと共に、アルバム『ルック・インサイド・ジ・アサイラム・クワイア(原題:Look Inside the Asylum Choir)』を制作した。

それから2年後、『ソング・フォー・ユー(原題:A Song for You)』を含むファースト・ソロ・アルバム『レオン・ラッセル(原題:Leon Russell)』をリリースした。『ソング・フォー・ユー』は、アンディ・ウィリアムス、ダニー・ハサウェイ、カーペンターズ、ザ・テンプテーションズ、さらにはウィリー・ネルソン、レイ・チャールズまでもがカヴァーした。1993年、レイ・チャールズはグラミー賞の最優秀男性リズム・アンド・ブルース・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。さらに2005年、ハービー・ハンコックとクリスティーナ・アギレラのデュエットによる『ソング・フォー・ユー』がグラミー賞にノミネートされた。


Translation by Smokva Tokyo

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE