イギー・ポップの軌跡:未公開写真で綴る高校時代からストゥージズ結成の瞬間まで

ストゥージズがサインしたレコード契約書

Jeff Gold collection

ストゥージズがサインした契約書の最初と最後のページには、バンドが契約金として5000ドルを受け取ると記されている。既にシングル数枚をリリースしていたMC5の契約金は15000ドルだった。ザ・ストゥージズ(サイケデリック・ストゥージズという名前を改めた理由について、ポップは「簡潔なほうがいいから」としている)として正式に契約を交わす前、ロン・アシュトンはスリー・ストゥージズのモー・ハワードから名前の使用許可をもらったという。「ロンは(スリー・ストゥージズの)ラリー・ファインを何度も訪ねて、その度にタバコやらウイスキーやらを貢いでたからな」ポップはそう話す。「それが実って『コメディグループとかじゃなければ(バンドの名前を)使ってもいいぜ』って、モーから許可をもらったんだ」

ティーンのアイドル、イギー・ポップ

Jeff Gold collection

ブロマイドのようなポップのこの写真は、エレクトラが16マガジンに送ったものだという。「シルバーのグローブは中西部に住んでた頃から使ってた。ニューヨークや世界中にセレブの友達を持つようになるずっと前からね」自身のイメージの変化について、ポップはそう話している。「あの頃の俺はバンドのフロントマンとして、よりグラマーになることが求められていたんだ」

エレクトリック・サーカスでのライブ風景

(c) Lisa Gottlieb

1970年10月23日、ザ・ストゥージズはニューヨークのエレクトリック・サーカスでライブを行った。「この時は全身に銀粉を散りばめただけじゃなく、髪も染めた。昔ウォルグリーンにNestle Streaks n’ Tipsっていうエアゾール缶のスプレーが売ってて、吹きかけるだけで髪を染められたんだ」ポップはそう話す。「娼婦の間で人気だったらしいよ。俺のお気に入りはシルバーだった。髪を染めるだけじゃなく、ボリューム感が出せるんだよ。当然首にもかかるし手にも付くんだけど、かなり強力で何日も落ちないから、俺が寝た布団やら何やらは後処理が大変だった」

「当時俺はクスリをやりすぎてた上に、食生活も酷かった。冷蔵庫が健康食品でぎっしり詰まってることもあったけど、毎日のようにヘロインをやったり、食事をデイリー・クイーンのシュガー・ラッシュで済ませることもあった」彼はそう続ける。「何日もアイスクリームしか食べてないなんてこともしょっちゅうだった。そんな感じだったから肌荒れもひどくて、俺の見た目はバンドのフロントマンとして失格だった。ジョンソンのベビーオイルを身体中に塗りたくったのも、顔が銀粉まみれだったのも、髪をスプレーで染めたのも、そういうアラを隠すためだったんだよ。でもこうして見ると悪くないな、チープさがいい味を出してる。近くで見れば印象はまったく別だろうけどね」

Translation by Masaaki Yoshida

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