レッチリ、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』の知られざる10の真実

2. BSSMは、リック・ルービンのローレル・キャニオンにある大邸宅で初めてレコーディングされたアルバムである。

1918年にロサンゼルスのローレル・キャニオンに建設された、通称「ザ・マンション」と呼ばれるベッド・ルーム10部屋のルービンの大邸宅は、レコーディング・スタジオとして過去25年の間に、ルービンがプロデュースした数々のアーティストが住み込みで利用してきた。そのアーティストにはマリリン・マンソン、スリップノット、システム・オブ・ア・ダウン、マーズ・ヴォルタ、リンキン・パークらが含まれるが、一番最初に足を踏み入れたのはレッチリだった。「リックが、あの家でレコーディングをやろうっていうアイデアを出したんだ」。こうアンソニーは、91年に英メタル・ハンマー誌に説明していた。「俺たちは、そのアイデアに完全に乗り気だったんだ。それまでに何回もスタジオに入ってきたわけだけど、いつも全てが機械的に整ってる雰囲気、殺風景で、ハイテクな感じだったんだ。...だから、俺たちは実際に引っ越して、あの家に住みながらレコーディングできたら、どんなにすごいか、どんなに暖かいか、どれだけ自分たちを隔離できるかって考えたんだ」。しかし、24トラック・レコーダーを防音設備の整っていない大邸宅に設置することは、その当時かなりの過激な発想であった。「ドラムのエキスパートがみんな、"ここじゃあ、良いドラムのサウンドは出せないね"って言ってたんだ」。こうアンソニーは、91年に英RAW誌に語っている。「でも、みんな完全に間違ってたんだ」

3. ルービン邸に幽霊が出るという噂に他のメンバーが盛り上がる中、その噂に耐えられないメンバーが一人いた。

アンソニー、ベースのフリー、ギターのジョン・フルシアンテは、2か月間ルービン邸に住み込んでBSSMの制作をしたが、ドラムのチャド・スミスはそこに住むことを完全拒否したという。「あの建物に30年代に殺された女性の幽霊が出ることを聞いて、彼はそれを受け入れることができなかった」。こうアンソニーは、『スカー・ティッシュ─アンソニー・キーディス自伝』で回想している。「そんな彼は、毎晩バイクで帰宅することを選んだ」。一方のジョンは、幽霊がセックスする音を楽しんでいたと告白している。「あの家には、間違いなく幽霊がいる」。こうジョンは、米Interview誌に話していた。「ある部屋には、すごい性的な幽霊の雰囲気があって、実際にある日、女性がやられてる音が聞こえたんだ。あそこに住んでた時は、音楽にかなり集中してたからマスターベーションを全くやらなかったんだけど、あの部屋で寝た時は、マスタ―ベーションしたい気持ちを抑えることができなかったね」

4. フリーのシンプルなベースは、キム・ゴードンからインスピレーションを受けた。

スラップベースが代名詞のロック界で最も大忙しなベーシスト、フリーはよりシンプルでメロディアスなベースをBSSMで披露している。「意識して、複雑だったり、しゃれてるものは避けたんだ」。こうフリーは、91年に米ギター・プレイヤー誌に話している。「一歩前に出て"よぉ、俺はフリー。すごいベーシストさ"って言うんじゃなくて、曲の中に入り込めるように十分小さくなろうとしたんだ。このニュー・アルバムでは、『ネイキッド・イン・ザ・レイン』の時以外、ほとんどスラップしてない」。またフリーは、その理由がソニック・ユースのベーシストであるキム・ゴードンの、とあるインタヴュー記事にあると告白している。「彼女、ファンク・ベースが大好きだけど、白人の男がそれを弾くのが嫌いだって話してたんだ。白人の男が、それを男らしいものに変えてきたからだって。それを読んだ時に、その傾向に対する責任が俺自身にもあることが分かってたんだ。でも、このニュー・アルバムでは一切それをやらずに、シンプルで美しく弾くように心がけてる。それから、彼女が俺のことを嫌わないことを願ってる。なんたって、彼女のことを素晴らしいって思ってるからね」

Translation by Miori Aien

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