デヴィッド・ボウイ、84年のアルバム『トゥナイト』の制作秘話

『レッツ・ダンス』の後に駆け足で制作されたアルバム『トゥナイト』は、ビーチ・ボーイズのカヴァー、ティナ・ターナーとのデュエットが収録された。 (Photo by Ebet Roberts/Redferns)

デヴィッド・ボウイが『レッツ・ダンス』のリリース後に駆け足で制作した、『トゥナイト』の内幕に迫る。同アルバムには、ティナ・ターナーとのデュエット、ビーチ・ボーイズのカヴァーが収録された。

デヴィッド・ボウイは、アルバム『レッツ・ダンス』のプロモーションの最中に、次作を「反抗的な」アルバムにすることを考えていたという。しかし、実際にボウイが駆け足で制作したのは、80年代の有名曲のカヴァーが多い一方でオリジナル曲が少ない、ポップ色の濃いアルバム『トゥナイト』だった。ツアー中に曲作りができなかったボウイは、お気に入りのイギー・ポップの曲にレゲエ風のリズムを加え、ティナ・ターナーとのデュエットをレコーディングし、ビーチ・ボーイズの『神のみぞ知る』をカヴァーした。ボウイがアルバム用に新しく作ったのは、イギー・ポップと共作した数曲と、『ブルー・ジーン』と『ラヴィング・ジ・エイリアン』のシングル2曲だけだった。『トゥナイト』のリリースを急いだ理由について、ボウイは当時「腕が落ちないようにしたかったんだ」と話していた。

「よく練られていないアルバムでした」。こう共同プロデューサーのヒュー・パジャムは言う。「レコーディングするには早過ぎたのです」。83年12月にシリアス・ムーンライト・ツアーを終えたばかりのボウイは、翌年の春までに、パジャムとファンクバンド、ヒートウェイヴのデレク・ブランブルを共同プロデューサーとして、モントリオール近くのスタジオに集めた。プロデューサーとしての経験が浅かったブランブルに、不必要なヴォーカルをレコーディングさせられたボウイは、不満をつのらせたという。ティナ・ターナーは一日だけ参加し、ボウイとイギー・ポップの77年の『トゥナイト』のデュエットを収録した。このデュエット・ヴァージョンでは、ヘロイン中毒についての歌詞が取り除かれている(「彼女にそんなことを、無理やり歌わせたくなかったんだ」とボウイは言っていた)。イギー・ポップ自身も、モラル・サポートをするために、その場に居合わせている。「2人は当時、スタジオでビール瓶の周りを躍りながら、その場で歌詞を考え出していたんです」。こうパジャムは当時の様子を振り返る。「とても楽しかったですよ」。また、独身生活を謳歌していたボウイは、プロデューサーの2人をレコーディングの際に出会った女性とくっつけようとしたという。「君が却下した女性はいらないよ」。こうパジャムはボウイに言ったという。

制作活動が一時中断された後に、ブランブルが戻ってくることはなく、最終的にパジャムがアルバムを完成させた。「『トゥナイト』が、(批評家から)高い評価を得ることがなかったのは、残念なことだと思っています」。パジャムはこう言う。「もし僕が最初からプロデュースしていたら、もっと良いものになっていたでしょう。デヴィッドが完成させなかった曲もあったのですが、アルバムに収録された曲よりも、よっぽど良いものだと感じていました」。それにもかかわらず、『ブルー・ジーン』 はチャートのトップ・テンに入り、アルバム『トゥナイト』はリリースされた84年の間に、プラチナ・ディスクを獲得した。

Translation by Miori Aien

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