群馬発地方バンド「G-FREAK FACTORY」が伝える新しいバンドの形

By RollingStone Japan 編集部
結成20周年を来年に控え、今年9月にリリースされたG-FREAK FACTORYのニューシングル『ダディ・ダーリン』は、優しさ、慈愛にも満ち溢れていながらも、今のこの国に問題提起する、21世紀の日本を代表する本物のレベル・ミュージックといえる1曲だ。

この歴史に残るであろう名曲を作った茂木洋晃(Vo.)とはどんな人物なのか。インタヴュー前編の今回は、バンドのルーツから、彼が地元群馬で作ろうとしている新しい音楽シーンについて存分に語ってもらった。

―1997年結成、来年で20周年ですが、そもそもバンドはどんなふうに始まったんですか? 音楽的ルーツも含めて教えて下さい。

もともとパンクロックが大好きで、高校を卒業してすぐにアメリカに行っちゃったんですよ。で、向こうで4年間暮らしてたんです。最初はUKのパンクが大好きだったんですけど、その後デッド・ケネディーズとかのUSパンクに魅せられて。向こうで学校卒業してから、けっこうひどい思いをしたんです。チカーノっていうメキシカン・ギャングと喧嘩して家を燃やされちゃって、そこから1年くらい宿無しだったりして。で、バンドを絶対にやろうってことで日本に帰ってきて、始めは英語で歌っていたんです。だけど、当時それはちょっと英語を喋れるっていう奢りみたいなところがあって、これじゃダメだって思って日本語でやるようになっていって。

―最初はパンクだったんですね。今は見た目的にはぜんぜんパンクっぽくないですが(笑)。

そうですよね(笑)。ラモーンズとかあの時代のパンクロックが大好きで。当時はボンテージパンツとかも履いてましたし。まぁでもいろんな意味で、やっぱりアメリカでくらったことっていうのがいちばんデカくて。日本人ってマイノリティなんだっていうようなことを経験したことは過去になかったんですよね。それがアメリカへ行ったら、ロス暴動の直後だったし、言葉にはしないけれど有色人種への差別がかなりあったんです。やっぱり白人第一主義みたいなものがすごく強くて。普通に会話をしてても、"I'm from Japan "って言った瞬間に話がひっくり返ることもあったし。当時18、19歳の俺は、受け止められなかった。何でこんな思いをしなきゃいけないんだろう? って。日本では同級生たちがナンパとか合コンとかしてっていう時代に、俺はなんて所に来ちゃったんだろう? みたいな。
Interview by Joe Yokomizo Text by Nanako Kubo(RSJ)

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