スカのレジェンド、プリンス・バスター死去:人々の心を突き動かしたジャマイカの賢人

先週惜しくもこの世を去ったジャマイカ音楽シーンの立役者、プリンス・バスターの功績と受け継がれる遺産(Photo by: PYMCA/UIG via Getty Images)

無数のヒットを生み出し、ジャマイカの伝説となったシンガー/プロデューサーが残した真の功績とは?

スカタライツのメンバーであり、かの有名なキングストンのアルファ・ボーイズ・スクール出身のサックス奏者、レスター・スターリングがジャマイカ音楽シーンのパイオニアであるプリンス・バスターの多才ぶりを実感したのは、出会ってからしばらく後のことだったという。楽器を演奏し、歌い、自らステージに立つという彼は、1950年代および60年代に名を馳せたプロデューサーの中でも極めて稀な存在だった。

「当時彼が手がける作品はどれも最高だった」ローリングストーン誌のインタビューで、スターリングはそう話している。「彼の音楽はダンスフロアの人々を熱狂させた。シャッフルやツイスト、みな彼の音楽に合わせて思い思いに踊り続けた。人々が何を求めているのか、彼はよく知っていたんだよ」1968年の『ゼイ・ガット・トゥ・カム』のレコーディング時のことを、スターリングは今もよく覚えているという。「彼が最高のシンガーでもあるということを、あの時初めて知ったんだ」

バイクにまたがったキングストンの移動レコード売りから、ジャマイカの音楽シーンの伝説となったキング・オブ・スカこと、セシル・"プリンス・バスター"・キャンベルが、先週9月8日(木)(米現地時間)にこの世を去った。彼という存在が唯一無二であったように、彼が生み出したジャマイカン・スカのビートだけでなく、今も色褪せないオリジナリティを誇っている。

1962年8月6日にジャマイカが独立を果たす何年も前から、キャンベルの名前は人々の間に知れ渡っていた。「当時のジャマイカのアーティストたちは、みんな流行りのR&Bスタイルを追求していた」キングストンのジャマイカ・ミュージック・ミュージアムのキュレーター兼ディレクターであり、過去にピーター・トッシュとスカタライツのマネージャーを務めたハービー・ミラーはそう話す。「アメリカではその流行が終わりつつあって、人々は何か新しいものを求めていた。でもジャマイカでのR&B人気は根強かったから、現地のミュージシャンの多くはまだそういう音楽を作っていたんだ。まったく同じとは言わないまでも、アメリカのR&Bの影響がはっきりと見て取れる音楽をね」

しかしキャンベルは違った。彼は文字どおり、ジャマイカの人々による、ジャマイカの人々のための音楽を作ろうとしていた。「彼はアメリカの音楽を模倣するんじゃなく、ジャマイカならではの音楽を生み出した」ミラーはそう話す。1950年代末から60年代初頭にジャマイカに生きる人々を突き動かした、ネイティブ・バプティストとしてのルーツとペンテコステイズムという、アフロ・ジャマイカンの精神を尊ぶムーヴメントに、キャンベルも強く感化されていた。

Translation by Masaaki Yoshida

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