ジョン・レノンの「キリストより有名」発言論争の真実

1966年のジョン・レノンの「キリストより有名」発言は、ビートルズへの感情的で脅迫的な抗議運動を引き起こした。

何気ない一言が抗議活動や殺害予告を招き、ビートルズのツアー活動は終わりを迎えた。その全容と波紋を振り返る。

「もし僕が、"テレビはキリストより有名だ"と言っていれば、追及されることはなかっただろうね!」アメリカのテレビネットワーク主要3局がカメラを回す中、ジョン・レノンは嘆いた。この生意気な発言は並んでいた大勢のジャーナリストを笑わせたが、最近のレノンは全くついていなかった。1966年8月11日、レノンは約5か月前のインタビューで発した何気ないコメントを巡り、追及を受けていた。

「キリスト教は廃れるだろう。衰退し消えるだろう。それは議論の余地のない確かなことだ。そのうち証明されると思う。僕らは今やイエスより有名だ。ロックンロールかキリスト教、どちらが先に消えるかは分からない。イエスは良かったが、弟子たちが愚鈍だったんだ。彼らがキリスト教を捻じ曲げ、台無しにしたんだ」

レノン自身はこの発言をほとんど覚えていなかった。このインタビューは同年3月にロンドン・イブニング・スタンダード紙に掲載されたが、物議を醸すことはなかった。しかし、米国のティーン誌、デイトブック誌に転載された時、ビートルズの未来、そして命をも脅かす国際的な騒動となった。

レノンは、才能と洞察力のある、若さとスタイルも兼ね備えたジャーナリスト、モーリーン・クリーヴと親しかった。クリーヴはビートルズメンバー全員と親しく、レノンとは特に仲が良かった。男女の仲だったという噂の真相は明らかではないが、二人の間には確かに知性で結ばれた固い絆があった。「ジョンはモーリーン・クリーヴの知り合いだった。...とても親しかった」マッカートニーは、『ザ・ビートルズ・アンソロジー』のドキュメンタリーのインタビューでこう語っている。「僕らは才能のあるジャーナリストに引かれていた。彼らとは話ができたからね。自分たちは頭の悪いロックスターとは違うって思っていたんだ」

ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインも彼女の質の高い仕事に敬意を払っていた。彼は、通常の広報上の制約をクリーヴには適用せず、より深く各メンバーの人物評ができるよう、ビートルズとの接触を幅広く認めた。レノンへのインタビューは、彼が妻のシンシアと幼い息子、ジュリアンと暮らすロンドンのウェイブリッジ郊外にある緑に覆われた屋敷で行われた。

明らかに富も名声も手にしたレノンだったが、彼は家庭や社会的地位の証しとなるようなものに強い違和感を抱いているとクリーヴは感じた。「僕はバス停に止まるように(ここに)いるだけさ。自分が何を欲しているかが分かったら、本物の家を手に入れる」高価な子供のおもちゃが散乱する豪邸を案内しながら、レノンは語った。「僕は何か他のことをするつもりだ。今はまだそれが何かは分からない。分かっているのは、これじゃないってことだけだ」

Translation by Cho Satoko

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