ザ・ビートルズ『リボルバー』についてあなたが知らない15のこと

By Colin Fleming
(Photo by Santi Visalli Inc./Getty Images)

4. 『グッド・デイ・サンシャイン』でマッカートニーは、ザ・ラヴィン・スプーンフルを模倣しようとしていた

ポール・マッカートニーは当時、このバンドの文化の目利き役として、舞台作品やアヴァンギャルド音楽、クラシックから、ラヴィン・スプーンフルといった現代作品までを吸収していた。

「『グッド・デイ・サンシャイン』では、僕は『デイドリーム』のような曲を書こうとしたんだ」とマッカートニーは語っている。スプーンフルのこの曲は地味なバラードで、『サンシャイン』の勢いや活気は見られないのだが、こうした影響は、ビートルズがいかに他人の音楽的なアイデアのかけらを採り上げて、完全に自分たちのものに作り上げてしまうかの好例になっている。この曲には「伝統的な、ほとんどトラッド・ジャズ的な感覚がある」とマッカートニーは付け加えている。「彼らの曲ではこれが一番のお気に入りなんだよ」

5.  アルバムカバーのデザインはマンフレッド・マンのメンバーが担当していた

小さなビートルズを白黒でサイケデリックにブリコラージュした『リボルバー』の有名なカバーアートのデザインを担当したのはクラウス・フォアマンである。ハンブルグ時代にビートルズと偶然出会い、彼らにアストリッド・キルヒャーを紹介した人物だ。キルヒャーは後に、ビートルズのオリジナルのベーシスト、スチュアート・サトクリフの妻となる。フォアマンは楽器の演奏はできなかったが、英国に移住し、マンフレッド・マンに加入していた。

70年代のヤン・S・ウェナーとのインタヴューでレノンは次のように質問していた。「クラウス・フォアマンが描いてくれたあの白いアルバムって、『ラバー・ソウル』の前だったっけ、後だったっけ?」。これはレノンが、ビートルズの傑作アルバムのタイトルは忘れてしまっても、フォアマンの作品はちゃんと覚えていることを物語っているのである。

「人の耳からものが出てきているようなところが気に入っていたし、スケールの大きな作品でありつつ、とても細かいコラージュが施されていて、僕らは気に入っていたよ」とマッカートニーは語っている。「それに彼は僕らのことをよく知っていたから、とても美しく描いてくれている。光栄なことだよ」

6. リンゴ・スターのひどいダジャレがアルバム・タイトルとして採用される寸前だった

『リボルバー』というタイトルは銃から来ていると思っている? それは間違いである。このアルバムはある時点では『After Geography』(アフター・ジオグラフィ)になるところだったのだ。これは、ザ・ローリング・ストーンズのアルバム『アフターマス』にひっかけたリンゴ・スターのひどいダジャレで、ロック史の金字塔が危うく高校の授業ジョークになってしまうところだったのだ(訳注:Geography = 地理、Math = 数学)。

『Beatles on Safari』、『Four Sides of the Circle』、『Fat Man and Bobby and Abracadabra』といったタイトル候補もあった。特に最後のタイトルは、すでに他の人に使用されていることが判明するまで、有力候補として残っていた。

最終的なタイトルについては、このアルバムがすること、つまり”回転”(revolve)から決定された。まったく、ビートルズほどダジャレ好きなバンドはかつてなかった。後年まで不評を買うようなタイトルになることを危うく回避したのだった。

7. マッカートニーは、レノンの起床を待っている間に『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』を書きあげた

ポール・マッカートニーは『リボルバー』の作曲セッションでケンウッドにあるジョン・レノンのアパートを訪れたが、もう昼すぎだったにもかかわらず、レノンはまだ寝ていた、

「僕はプールサイドのサンデッキの1つに、ギターを持って座っていた」とマッカートニーはバリー・マイルス著『メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』で明かしている。ほどなく、彼は『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア』を生み出す。この曲はレノンお気に入りのビートルズ・ソングの1つとなった。

「歌詞の最後の部分はジョンが書いたのだったかもしれない」とマッカートニーは続ける。「それでさ、スタジオでこの曲を歌った時には、実はマリアンヌ・フェイスフルのように歌ってやろうと思っていたんだよ。これは誰も知らないことだ」
Translation by Kuniaki Takahashi

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