Pファンク、バーニー・ウォーレル逝去:"鍵盤の魔術師"が音楽界へ遺したもの

「トーキング・ヘッズはファンクしたがっていたんだ」とウォーレルは2014年のニュータイムズ誌に話している。「トーキング・ヘッズに加わってから知ったことだが、デヴィッド・バーンとクリス・フランツは、彼らがプロヴィデンスのアート・スクールの学生だった頃、よくPファンクのコンサートに忍び込んでいたらしい。全く知らなかったが、白人のガキがいたとしたら彼ら以外いないはずだよ。それ以外でも、スタジオでの仕事の仕方は似ていて、私の好きにさせてくれるところもね。最初にトーキング・ヘッズから電話があったときには、私は彼らが誰だか知らなかった。トーキング誰だい?って感じだ。ニュー・ウェイブは聴いていたけれど、勉強しなくちゃならなくなったんだ」。

彼らの1980年の記念碑的アルバム『リメイン・イン・ライト』のリリースの後、トーキング・ヘッズはそのアルバムの複雑で多層的なリズムを、ステージでどのように再現するかという課題に直面する。彼らのそのアルバムのライブ演奏を実現するため、ウォーレルとキング・クリムゾンのギタリスト、エイドリアン・ブリューを加えてツアー・メンバーを強化した。結局、ウォーレルはこのバンドのキーボード奏者として、また非公式メンバーとして、1992年の解散まで12年間活動することになった。



ウォーレルは1983年のトーキング・ヘッズのアルバム『スピーキング・イン・タンズ』に特別参加でシンセサイザーを弾き、1984年のコンサート・フィルム『ストップ・メイキング・センス』でも華々しくフィーチャーされた。2002年にトーキング・ヘッズがロックの殿堂入りしたメンバーには含まれなかったが、授賞式の1度限りの再結成では招かれて彼らと共にプレイしている。

彼のパーラメント/ファンカデリックとトーキング・ヘッズでの仕事に加えて、ウォーレルは5枚のソロ・アルバムをリリースしている。1978年、Pファンクが強力に支援し、ウォーレルとクリントンの共同プロデュースによる『オール・ザ・ウー・イン・ザ・ワールド』に始まり、1990年には、ウォーレルは2枚目のソロLP『ファンク・オブ・エイジズ』をリリースした。それは、キース・リチャーズ、トーキング・ヘッズのバーンとジェリー・ハリソン、ブーツィー・コリンズ、メイシオ・パーカー、スライ・ダンバー、ハービー・ハンコック他をフィーチャーした錚々たるオール・スター・アルバムとなっている。

何年にもわたって、ウォーレルはジャック・ブルース、B-52’s、フレッド・シュナイダー、モス・デフ、レス・クレイプール、フェラ・クティ、ジンジャー・ベイカー、その他大勢のミュージシャンと共演してきた。ウォーレルは、バケットヘッドとドラマーのブライアン・"ブレイン"・マンティアをフィーチャーした、ビル・ラズウェル率いるグループ、プラクシスのパートタイム・メンバーでもあった。また、ウォーレルはモーグのドキュメンタリーにも出演、『ストップ・メイキング・センス』以来の再会となったジョナサン・デミ監督の2015年の映画『幸せをつかむ歌』では、メリル・ストリープのキーボード奏者役を演じた。

Translation by Kise Imai

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